2017年 04月 30日

松たか子の聖子節


昔、テレビで松たか子さんが、松田聖子さんの「瞳はダイアモンド」という曲を歌っていて、すごく感動したことがある。この時は篠原ともえさんがコーラスで参加していたと記憶している。

「松田聖子さんは歌がウマイ」というのは過去に、種とも子さんや川瀬智子さんが各自話していて、「そうなのだろうなー」と思っていたが、松たか子さんが歌う「瞳はダイアモンド」は、一気に私の脳天を直撃し、昇天させるくらいの素晴らしさだった。

聴いた瞬間 「松たか子 歌ウマー!!」 と思ったものだ。

歌い手と曲のマッチングというのは、確実にある。

観月ありささんはデビュー曲 「伝説の少女」 とのマッチングが素晴らしく、同じ番組 (番組名は不明) にゲスト出演していた森口博子さんに評価されていた。直接に褒められていたのではなく、「ありさちゃん歌上手~!!」という視線を彼女に送っていたのを、私は見逃さなかった。


松たか子さんを最初に好きになったのは、NHKで放映された宮尾登美子:原作の「蔵」というドラマで、録画して何度も見返していた。

主人公「烈」を松さんが演じていて、ドラマ中の台詞も、いつの間にか覚えていた。


「おどっつぁま!(お父さん)、なにを言っていなさるが!」と、家族の前で物真似を披露していたものだ。


その後、雑誌を立ち読みしていたら、松さんがインタビューに答えていて、玉置浩二さんの 「いかないで」 という曲が好きだと言うので、シングルCDのレンタル落ちを10円で買ってきて聴いてみると、確かに名曲だった。玉置さんの作品の中では、「悲しみよ こんにちは」 に次ぐ、「いい仕事」だと思う。

「悲しみよ こんにちは」 についても、曲のマッチングというのが働く。私の中では、斉藤由貴さん以外は有り得ない。同様に 「楽園のドア」 は、南野陽子さんでないといけない。


当時、「ゴジラ松井」 こと松井秀喜さんが、松さんを理想のタイプに挙げていたので、危機感を覚えたのを思い出した。既に自分の名字と 「たか子」 という名前をドッキングさせて、妄想に浸っていたのだ。

その後、松さんはツアーで知り合ったバンドのギタリストと結婚したと 風の噂で聞き、世の無常を実感したのだった。

当時、松本幸四郎さんと奥さんの結婚写真を雑誌で見たことがあるのだが、松さんはお母さんにソックリだった。白百合学園に通っていた頃の写真も出ていたが、現在の可愛さと変わらない。ネットに出ている整形云々の記事は、何かの間違いだろう。


「瞳はダイアモンド」 は当時、「レコンポーザ/ 98 Ver2.5」 と 「ROLAND JV-1080」 を使い、コピーした。

ちょっと驚いたのは、非常にスムーズに コードとベースが付いたこと。普段自分のメロディーにハーモニーを付けようとすると、あまり褒められたものでないハーモニーが付くのだが、この時は、何回も聴き返したくなるほどのものになった。(自分的には) 驚くことにベースまでそうなのだ。

メロディーが上昇して行って、半音ずつ下降するという 「クリシェのライン」 が決まるのがこの曲の特徴だが、たとえワンタッチ・コード入力機能を使ってズルしたとしても、有り得ないことだ。

自分の粗野なメロディーにハーモニーとベースを付けると失敗し、プロのメロディーを使うと成功するということは、編曲の練習は、名曲のメロディーを用いて沢山編曲することだ。

逆に作曲の練習には、プロのMIDIデータからメロディーだけを抜いて、オケ(編曲)に自分のメロディーを乗せていくのが訓練になるかも。

「曲が先」 という人と、「オケが先」 という人がいるが、これは個々人のタイプによるだろう。小室哲哉さんはオケが全部できてから、最後にメロディーを作るそうだ。

槇原敬之さんは、詞とメロディーが同時に浮かぶ、と言っていた。

不肖私はメロディーが先でないとダメ。ベース・ラインからとか、リズムがまずは浮かんで・・・ なんてことは出来ない。

良いメロディーには良い編曲が付くというのは、法則なのだと思う。

私のメロディーをバッハに渡して、「先生お願いします」と言っても無駄なのだ。アレンジの力でごまかすことはできない。



参考資料

「LOVE LOVE あいしてる」 フジテレビ
ゲスト 松たか子

「Across The View」 J-WAVE
木曜日 放送担当 川瀬 智子

「KBspecial キーボードスペシャル」 立東社
種とも子 インタビュー

「With t - 小室哲哉 音楽対論」 幻冬舎
TK MUSIC CLAMP 編集


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# by saiyans | 2017-04-30 23:20 | 音楽
2017年 04月 27日

ピアノ教育と弓道の連携


近くの楽器屋さんで河合の電子ピアノのパンフレットを見てきたのだが、最大同時発音数がスゴイことになっていた。

256音・・・。

ピアノの鍵盤数は88鍵でしょう?なぜこんなに要るのだろう?KORGの「SG-1D」なんて12音でもあれだけ鳴らせるのに。

コンピュータのビットについても、32bitあれば足りる。

サステイン・ペダルで音を持続させようとする時に足りないという判断なのかな?でも、いくら速いパッセージで弾いていても、前の音が消音しないと音楽にならないから、どー見ても256音なんてオーバー・スペックだろう。

でもまあ、ピアノ自体はシンプルなので、発音数なんて別にどうでもいい。アコピに比べて断然有利なのはやはり、ヘッドホンで練習できること。それと調律が要らないので、メンテナンス費用が浮く。エフェクター付きなので、ホールの残響効果などが簡単に得られたり、エレピなどの音色も選べる。USBメモリに自分の演奏を記録でき、音質の劣化無しに再生できる。MIDI端子でパソコンとコンタクトできるので、データの打ち込みに使えるなど、まさに夢の楽器だ。

価格帯も、このスペックで十万円台というのは、すごい企業努力だと思う。

お子さんがコンクールなどで優勝したりすると、調子に乗るかもしれないので、同時に弓道もやらせると、精神面まで鍛えられて良いかもしれない。


オイゲン・ヘリゲルという人が書いた「弓と禅」という名著があるのだが、この本にはかつて神の化身クリシュナが「バガヴァッド・ギーター」の中で説いた“無執着”という精神的境地が記されている。

ただ唯一者(神)のみが行為するのであって、自分は「彼」が用いる道具に過ぎない、という、「一切を明け渡した行為」 ができるようになった時、人のあらゆる苦しみは終わりを告げるのだとクリシュナは説く。

勝っても負けても平然として、淡々と義務を果たせるようになれたら、音楽の世界での仕事も、素晴らしいものになると思う。



参考資料

「バガヴァッド・ギーター」 岩波文庫
上村 勝彦 翻訳

「あるがままに」― ラマナ マハリシの教え ナチュラルスピリット
デーヴィッド ゴッドマン 原著:編集 福間 巌 翻訳

「弓と禅」 福村出版
オイゲン・ヘリゲル 著 稲富 栄次郎 翻訳 上田 武 翻訳


「KAWAI」

「スティーブ・ジョブズが愛した名著「弓と禅」 武田鉄矢 ヘリゲル」

「アサヒ弓具工業」

「American Kyudo Renmei」

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# by saiyans | 2017-04-27 03:21 | MIDI
2017年 04月 19日

意志の強化からアートマンに至るプロセスについて


ブッダやイエスも、“意志” が強化されていなければ瞑想に集中できなかっただろう。まず欲望を捨てることで、“決定を性とする知性”の確立に向かう。これにより将来的にサマーディー(心の消滅)が確約される。

彼らは多分、最初に “意志” の強化と来て、次にアートマンの成就、というような順序は想像できなかっただろう。サイババの話しではブッダもイエスも当初、修行に際して様々な場所を転々としていたそうだから、まず、「意志の強化」など考えが及ばなかったはずだ。

これは空海もそうで、当初は教えを求めて転々とし、大日経を探したりしている。でも最終的には文献学からオサラバしないとアートマンの成就は不可能、と気づいて、我が肉体のみを頼りとした修行に身を投じていく。おそらくこれが人間の霊的進化の段階なのだと思う。「あれもやり、これもやり」して、まず自分で何とか道に入る方法を手探りしている内に、内側で見ているアートマンが「こいつは本気だな。それじゃあ与えてあげよう」と、アートマンの知識を得ることを許すのだと思う。ブッダ、イエス、空海たちも、聖典の学習などを通して、あるいは師の教えなどを通してアートマンの存在を確信できていても、「どういうこと(修行)をしたら、そこに到達できるのか」というのは手探りだったようだ。

“意志” さえ手に入れれば心(欲望)も支配できるようになるため、修行は容易になるだろう。在俗の私たちが戸惑う、瞑想時の心の動揺を知らずに、アートマンに没頭できる。ラーマクリシュナ・パラマハンサの集中力も、修行の後半は強力な “意志” に支えられていたはずだ。一般人のように、あれこれ浮かぶ考えに一々立ち止まらなくて済むから、楽々と修行が進む。ラーマクリシュナにとっては12年間の修行などアッという間で、気がついたらサマーディーという感じだったと思う。

“意志” を手に入れるには感覚的刺激を遠ざけなければならないから、当然もうYouTubeも見れないし、ネットもできなくなる。できるのは神の名を唱えたり、神を想いながら生きることだけだ。サイババは、神はフルタイムの修行によってしかアートマンを授けることはしないと言っていたから、やはりダルマの道は誠に厳しいのだ。生まれてからこれまで慣れ親しんできた、動揺が当たり前の感覚的世界から、原初の、あの純粋さと美しさ、アートマンの至福に向かうには、ハードルがあるのだ。

いきなり何かを断つというのはやはり、副作用を伴うというのを経験済みなので、少しずつ切り離していくのが賢明だろう。私の場合、他者のYouTubeチャンネルを見るのは止めようと考えている。やはり制限なく動画を見ていると、意志が弱っていくのを実感するからだ。

生まれた時にはこの世界のことを何も知らないので、周りの大人たちに教えられて、物質的な法則を学んでゆくのだが、やがては満たされなくなる日がやってくる。そして中学生くらいから始まる心の動揺、幼い頃には無かった心の脆弱さに気づいて、これの強化に努めるようになるが、同時に心の強化は心に知性を集中することになるため、もう1つの片割れであるアートマンを見えなくしてしまう。

メキシコのヤキ・インディアンであるドンファンは、私たちが生まれた時に携えてくる力の輪が2つあると言っていた。1つはトナール(心・理性・社会的人格)で、もう1つがナワール(アートマン・神)だ。心を強化することは、トナールを鍛えることになるため、徐々にアートマンは影が薄くなり、19歳くらいになると殆んど忘れられてしまう。子供の頃は純粋さや不動心などを通して享受できていた、アートマンの美しさと強さを忘れてしまう。


ドンファンは自身の体験から、そうした順序(最初に意志の強化と来て、次にアートマン)を経て向上するのを理解したから、弟子のカスタネダにもそのように教えた。師のナワール・フリアンも “意志” の成就が先だったことから、確信できたのだろう。友人のヘナロもそうだった。

ドンファンには知者の友人が他にもいたが、彼らもやはり “意志” を使うことができて、さらに “見る” こともできた。これを見ていると、アートマンを知ることがブッダやイエスにだけ許された特別なものでないことが分かる。欲望を捨てることで、やがては “意志” を持つに至り、さらなる成就を目指して(“見ること” を目指して)日々を生きていれば、そのうちに辿り着けるものなのだ。

私たちが「あれもしたい、これもしたい」、「あれも欲しい、これも欲しい」という欲求を持ち続ける限り、意志は健康で真っ直ぐなものにならず、アートマンの成就は遠のいてゆく。サイババが、「あなたがたは苦しむだろう。それは、あなたがたの愛着が、物質に向かっているからにほかならない。あなたがたは悲しむだろう。それは、あなたがたが神を拒んでいるからにほかならない」と言ったのは、まさしくこのことだ。ラーマクリシュナも、「ダルマの道は誠に厳しい。欲望が1つでもあると、神に届くことはできない。針に糸を通すのに、1つでもケバがあったらダメだ」と言っていた。

神に近づくと、近づいた分、“神の意志” を行使できるようになり、さらに近づいて一体化すれば心が消滅して、クリシュナ言うところの 「私の状態に達する」 となるのだ。

カーストの違い、個々人のダルマ(本分)の違いによって、意志の発達のさせ方は違う。勤め人なら遅刻しないとか、税金を滞納しないとか、部下の面倒をよく見るとか、扶養家族がいるなら、よく面倒を見るなどがある。教師なら生徒の人格を高めるために道徳的価値観を教えて、奉仕の大切さを繰り返し説くとか、政治家なら善政を布いて、国民を我が子のように慈しみ、真のサービスとは何かを追及し、国家を発展させるなどがある。


現代人の問題点は、「自分の行為・仕事を神に捧げる」 というのを教わっていないばかりに、カルマ・ヨーガ(善行による神との合一)を実践することができず、人生を無駄に生きてしまう点だ。



参考資料

「呪術の体験」 分離したリアリティー 二見書房
カルロス・カスタネダ 著 真崎 義博 翻訳

「未知の次元」― 呪術師ドン・ファンとの対話 講談社学術文庫
カルロス・カスタネダ 著 名谷 一郎 翻訳

「バガヴァッド・ギーター」 岩波文庫
上村 勝彦 翻訳

「サイババ イエスを語る」 サティア サイ オーガニゼーション ジャパン刊
サティア・サイババ 述 牧野元三 和訳

「慈悲・仏陀の教え」 サティア サイ出版協会
サティア・サイババ 著

「不滅の言葉」(コタムリト) 中公文庫
田中 嫺玉 著

「インドの光 聖ラーマクリシュナの生涯」 中公文庫
田中 嫺玉 著

「バガヴァン シュリ サティア サイババとの対話」 サティア サイ オーガニゼーション ジャパン刊
J・S・ヒスロップ 著 牧野 元三 監訳

「理性のゆらぎ」 三五館
青山 圭秀 著

「サンカルパ」 三五館
青山 圭秀 著

「愛と復讐の大地」 三五館
青山 圭秀 著

「知ってるつもり?!」 日本テレビ
弘法大師 空海 2000年10月29日放送


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# by saiyans | 2017-04-19 21:54 | 人間の霊性についての考察
2017年 04月 13日

音楽教育の実践  


吉松隆さんは、実家のピアノの調律が微妙にズレていたため、絶対音感を逃したそうだ。後悔先に立たず。

野呂一生さんは、6歳でバイオリンを習い出した結果、1歳の差で絶対音感を逃している。

赤ちゃんがお腹に居る時の約1年+0歳~5歳までの計7年が絶対音感習得期限だ。それを逃すと体得できない。前世で体得した人はそのお蔭で、先天的に備わって生まれてくる場合もあるそうだが、これはおそらく、すぎやまこういちさんがそうかもしれない。

絶対音感体得には、電子ピアノの購入をお勧めする。調律の必要が無く、一定だから。個人的には河合の電子ピアノがお勧め。音色が好みなのだ。もしくはKORGの「SG-1D」。イギリスのキース・エマーソンとハワード・ジョーンズも、「ピアノの音を聴いて、1発で気に入った」と言っていた。

ソルフェージュ(音符の読み書き)は、「レコンポーザ/ 98 Ver2.5」で学ぶと良いと思う。エディット画面で「=キー」を2回押すと、カーソルの上下で、音符に実際の音が追随する(一緒に鳴る)。目に「ド」の音符が示された時に、同時にドの音が鳴るというのは、実はあるようで無いと思う。

「レコンポーザ/ 98 Ver3.0」は時々エラーが出るのだが、Ver2.5はエラー無し。安定性抜群で、使える。一生ものだから、手に入れた人は大事にしましょう。MS-DOSは5.0Aが軽くてお勧め。

とにかく5歳の終わりまでは1秒たりとも無駄にしてはいけない。寝る間も惜しんで音楽の体得に全リソースを振り向ける。アートマン(超越意識)に近い状態、クリアな意識状態で自然に学べる、千歳一隅のチャンスなのだから。

でもサイババは、夜中に勉強すると頭にボンヤリとしか残らないから、早朝の3時に起きて、浄性の時間に勉強しなさいと言っていたので、やはり従うべきかな。(キツそー)

人間は「オギャー!」と高いキー(意識状態)で生まれても、日に日に周波数が落ちていくのだ。6歳で1個下のオクターブに落ちたら、聖者以外は絶対の純粋性を諦めないといけなくなる。生きているだけで心が汚れていくこの娑婆世界では、純粋性を維持するのは、ほぼ不可能だからだ。意識のフィルターが曇らないように、子供たちをテレビなどの害悪から守るのも大事だ。特に「偏見」は最大の曇りだと思うので、気を付けないといけない。

英会話もそうだが、読み書きから入ると失敗するのは、音楽も同じかな。ソルフェージュは4歳くらいから始めた方がいいかもしれない。3歳まではピアノを弾かせて、曲を耳コピさせたり、バッハの課題曲をユックリでも弾かせたりとか。

すぎやまこういちさんは、ベートーベンの交響曲第6番「田園」のレコードをかけながら、同時にスコアを見つつ、歌ってコピーしたそうだ。(脳内コピー)今でも田園のバス(ベース)パートを丸暗記していて忘れないというのだから、レコードが擦り切れるまで聴いたというのは本当でしょう。

「理論の後付け」はあっても「理論の先付け」はないのだ。これをやると日本の英語教育の二の舞になる。会話できないことになるのだ。



参考資料

「カシオペアの本」 立東社

「キーボード・マガジン」 リットーミュージック

「すぎやまこういちがやってきた」


「吉松隆 交響曲工房」

「サティア・サイババの言葉」 サイビル・ホームページ


音楽教育に役立つサイト

「小谷野謙一 オフィシャルページ」

ハードウェアMIDI音源のピアノ音色を聞き比べるサイト


「あなたの音感は何型か? ~ 『絶対音感』の誤解」

「小林音楽教室」

「一音会ミュージックスクール」



バッハやベートーベンなどのMIDIデータがダウンロードできる。

「鈴ちゃんの Classic MIDI」

「Andante comodo」

「Reinmusik」 クラシック MIDI ラインムジーク ~調和のひととき~

Midi Classics <MIDI クラシック音楽データ集 by Windy>
トップ・ページの「音景色(MIDIの作り方)」 → 「MIDIで良い音を楽しむ」の中に、Windows Vista / 7で、外部MIDI音源を選択できるようになるフリーソフトが紹介されている。

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# by saiyans | 2017-04-13 04:15 | 音楽の学習方法
2017年 04月 12日

ドラクエⅤは最高


ドラクエⅡは中学の時にお小遣いで買ったが、友達のアドバイスを受けてクリアできた。

シリーズでは、ドラクエⅤが1番面白かった。中古で105円で買ったのだが、自力でクリアできた初めてのドラクエだった。

ゲームクリエイターの飯野賢治さんも「Ⅴ」が好きだとラジオで言ってた気がする。パパス(父親)との絆も描かれていて、なんか妙にシンミリできるストーリー。

「Ⅴ」は敵を仲間にできるところが将棋的だったのと、仲間のキラーパンサーが可愛かった。

確かダンジョンの中でキラーパンサーに出会ったのだが、攻撃しても攻撃しても、向かって来ないので、オカシイなーと思っていると、「ハッ」と閃いた。あの子キラーなのだ!


あれは数日前のある日(当時)、ある場所でこの子キラーパンサーが子供たちにイジメられていたのだが、その時に彼を助けたことがあった。彼はそれを覚えていて、私に向かってこないのだった。

いつの間にか成キラーパンサーに成長した、この忠犬の如きキラーパンサーは、その後大いに私を助けてくれた。また鳥山明先生の描く箱イラストが素晴らしい。キラーとビアンカが、イイ顔してるのだ。

動物は猫もそうだが、人間の愛情に応えようとする性質がある。というより、肉体が動物なだけで、心は人間と変わらない。

「Ⅴ」では途中、主人公と仲間が8年間の奴隷生活を余儀なくされるのだが、土星期は7年半なので、もしかすると堀井雄二さんは、インド占星術的要素も物語に仕込んだのかもしれない。


ドラクエⅥはグラフィック、音楽ともに素晴らしかったが、途中までやって、クリアはできなかった。それ以降、ドラクエはプレイしていない。



「すぎやまこういち先生のように曲を作りたい!」という人は、以下のサイトで学習すると良いと思う。


「回転オトエフミ」


ためになる音楽本

「カシオペアの本」 立東社

「土橋流ロック・バンド免許皆伝」 シンコー・ミュージック
土橋 安騎夫 著


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# by saiyans | 2017-04-12 02:01 | 日常