ラーマの日記

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2013年 08月 05日

時間が伸縮する不思議


人は楽しい時や集中している時に時間が短く感じる。このことから、絶対時間など無いことが分かる。

以前、高野山に行った時、宿泊費を節約するためにテントと寝袋を持参して行った。普通は高野山の極楽橋駅で電車を降りたら、その足でケーブルカーに乗り継ぎ、山頂を目指すのだが、極楽橋駅には駅の外に出られる小さな階段があり、そこを降りると下山できたので、テントを張れる適当な場所を見つけるために、その辺を歩いてみた。

少し下ると道の横に沢があり、その岸辺にテントを張った。サワガニが生息するほど綺麗な水が流れる沢の岸で暫らく休んだ後、高野山に登ることにした。アスファルトが敷かれた二車線の登山道から頂上を目指すこともできるが、そこから脇道に逸れて、コンクリートが敷かれた細い登山道から登ることもできる。私はよく、この細い登山道から登っていた。

空海の霊廟である「奥の院」の少し手前には仏像が数体並んでいて、巡礼者たちが水をかけて礼拝していた。インドでは、この礼拝方法を「アビシェカム」または「アビシェーカ」と呼んでいて、罪の滅尽を願う人々が積極的に行うものだ。

階段を登り、空海が入定したと言われる奥の院、弘法大師御廟に着くと、大小沢山のロウソクが灯っていた。空気が精妙というか、澄んでいるのが分かるくらい、神聖さが漂う場所だった。当時の空海は自らの死期を予言しており、予言通りに死んで即身仏となった。もっとも、空海の場合はジーヴァン・ムクタ(生身解脱者)だったから、生きながらにブッダとなっていたのだが・・・。


暗くなる前に下山し、テントに戻ったのだが、夜は野犬やカラスだけでなく、横の坂道を登っていく沢山の霊の声も聞こえるので、さすがに怖くなった。なんとか我慢して夜を明かし、東の空が明るみだすと、霊やカラスの声も止むのだった。

次の日の晩、例によって野犬、カラス、霊の声がうるさかったので、「それじゃあ」ということで持参してきた東本願寺・真宗大谷派編纂の真宗聖典を4ページほども読んだところ、全ての音がピタリと止んだ。底本が純粋な聖典は高周波のエネルギーを放射するので、読むことで周囲を浄化することができるのだ。聖典の力が効いている有効時間は12時間が限界だから、一晩明かすには充分だった。


次の日の朝、東の空が明るんできたと思ったら、アッという間に夕方になり、日が暮れていた。次の日も同様に、アッという間に1日が終わり、また次の日も、と経験している内に、「ストレスが無い場所だと、こんなにも時間の経過とは速いものなのだ・・・」と気づいた。

普通、娑婆で生きていると、時間は長く感じるものだ。でも、山で1人でいると、時間が短縮することが分かった。断食なども、娑婆では2日と18時間が限界だったが、山だと4日間食べなくても全然平気で、「まだまだ行ける」という感じだった。

多分、「ヒマラヤ生まれのヒマラヤ育ち」というサラブレッドたちは、生まれた時の美しい心を維持したまま、地上最後の肉体を脱ぎ捨てて解脱し、ブラフマ・ローカ(梵天の世界)に帰るのだろう。梵天界は、生まれ変わりの苦しみから解放される世界であり、天界、地上界、地下界の三界に住む者は輪廻転生し、生まれ変わりを繰り返すそうだ。

ブッダ、イエス、空海などが長期に亘る修行をしたと聞くと、「たった1人の孤独な状態で何年も修行するなんて大変だよなー」という印象を持つのだが、家を捨てた者には娑婆のようなストレスが無いから、彼ら自身は数十年という人生の時間も、アッという間だったと思う。


参考資料

「カシオペアの本」 立東社

「真宗聖典」 東本願寺出版部

「バガヴァッド・ギーター」 岩波文庫
上村 勝彦 翻訳

「アガスティアの葉」 幻冬舎文庫
青山圭秀 著

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by saiyans | 2013-08-05 00:26 | 人間の霊性についての考察


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