ラーマの日記

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2013年 08月 04日

どうすれば神の「意志」が使えるようになるのか?


人間は、意志を発達させれば、その意志が神の意志に転化される日が来るようだ。イエス・キリストがそうだった。

イエスは新約聖書の中で、幼い娘が息を引き取ったために皆が歎き悲しんでいる家に入っていき、「この娘は眠っているだけだ」と言ったが、それを聞いた者たちはイエスを嘲笑してバカにした。イエスが「娘よ、起きなさい」と言うと娘は起き上がり、イエスの世話をし始めた。これに驚いたのは家人たちだった。狂ったように歓喜し、神の栄光を讃美しだした。イエスは言う。「人には不可能でも、神にとっては全てが可能である」と。

この後イエスは、ラザロという男も生き返らせている。戒律の尊守によって高められた強固な意志は、物事を即座に実現する力となって現れる。禁欲の誓いを守り続けることで神に近づき、自己の意志を強化すればするほど、物事を実現する力はその人に備わるようになり、約束を破る、浮気するなどの不道徳性を獲得すればするほどに、その人の意志は弱まり(神から遠ざかり)、物事を成就に導く力が失われてゆく。

サティア・サイババは、「悪いことをしてはいけない。良いことをしなさい。悪いものを見てはいけない。良いものを見なさい。悪いことを聞いてはいけない。良いことを聞きなさい。悪いことを話してはいけない。良いことを話しなさい。悪いことを思ってはいけない。良いことを思いなさい。それが神への道です」と言っている。確かにこれらの戒律を守っていれば、神の周波数帯域に留まることになるので安心だろう。

逆に、虚言、悪口、盗みなどの不道徳性は、神から自己を遠ざける行為なのだ。こういうことをしていると、物事を一瞬間に成就するアートマンの力から離れていくことになり、多くの幻滅を実人生に於いて味わうことになる。イエスは病人を即座に癒したりしているが、イエスは修行して神の意志(周波数)と自分の意志が一致するほどに自己を高めたからこそ、奇跡を起こすことが可能になったのだ。


私たちは家族が重病で倒れたりした時、一心に祈るが、その祈りは多くの場合成就しない。普段からの祈りの常習や、修行による意志の強化が行われていないためだ。イエスや空海の場合は、何年もその“一心の祈り”にあたる修行を積んできたために、即座に「意志」を使える。神の力を発動できるのだ。読み書きを長年修めた者が、自分のアイデアをパッとノートにメモれるのと同じくらい簡単に、彼らは神の力を使える。私たちがいざという時にその力を行使できないのは、一定の年月を継続して修めた修養体験が無いからだ。これは楽器を弾いたことがない人に、いきなり「楽器を弾け」と言うのと変わらない。

学校や会社に遅刻しないとか、約束(納期)を守るなどの道徳的実践は本来、霊的な努力なため、意志は強化されてゆくだろう。その人が実社会に於いて充分に道徳的であろうと努力し、精進し続けるかぎり、その人は霊的に進化することができる。ただ、それでもイエスや空海のようなフルタイムの献身でないと、自分の意志が神の意志に転化されるほどにはならないだろう。世俗の者はこの点、出家者には及ばないと思う。

ある家に本物の出家者が一人でも出ると、七代前の先祖の血も清まると言われるのは、その者を地上に降誕させたことにより、地上の人々の未来が明るくなったとか、膨大な功徳により、その民族に後々まで栄光を齎すことになるからだろう。



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by saiyans | 2013-08-04 01:16 | 人間の霊性についての考察


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