ラーマの日記

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2015年 05月 18日

私の出家未遂記録


私は過去に4度ほど、出家しようとして失敗している。

1度目は2001年11月で、静岡県・熱海の山中に居を構え、じっくり神を実現しようなどと考えていた。父親に買い物に付き合ってもらい、1人用のテント、斧、ミニ・ショベル、スチール鍋などを買い込み、既に持っていた寝袋を持って出かけた。荷物は大きめのバック2つとリュックで重かった。散々修行の地を探し回ったが、藪が多くて山に分け入ることができず、一週間ほどで帰宅した。

その後2003年3月、再び熱海に向かった。この時は山中で自給自足している5人家族を、コント竹田君が紹介しているテレビ番組を見たのがキッカケだった。そのお父さんは29歳頃に自分で家を建ててから19年くらい住み着いているとのことだった。沢の水で生活水を賄い、野菜を自給自足し、山を下りた際には行きつけのパン屋さんでパンの耳をタダでもらい、海岸の岩の上で天日干しして保存食にしたり、海でウニを獲ってその場で食べたりしている光景に憧れた。しかし、自給自足番組のパートⅡを放送した時には、5人家族皆が下山し、娑婆でお父さんは働いていた。おそらくテレビ放送されたことで人々に疑問視されるようになり、下山せざるを得なくなったのだと思う。

この時の私は、「今度こそやってやる」という感じで、気合を入れて2度目の熱海に臨んだが、またまた一週間ほどで、寂しくなって帰宅した。前回は荷物の持ち過ぎで疲れ果てたので、今度は必要最低限の物しか持たずに出掛けたのだが、それでもダメだった。

続いて2003年11月に、今度は高野山に向かった。なぜ11月に家を出たかというと、インドでは11月は“カールッティケーヤの月”と言われていて、旅立ちには縁起がいいとされていたからだ。

極楽橋駅で電車を降りたら徒歩で少し山を下り、沢が流れている岸の草地にテントを張って少し休んだ後、高野山に登った。毎日空海霊廟でお祈りしたり、テント内で聖典を読んだりしていても10日ほどで飽きてしまい、お金も心細くなってきたところでテントを畳み、帰路に就いた。

その後、もう一度高野山にチャレンジしたが、何故かまた寂しくなり、計11日で帰宅。我ながら情けないが、私の限界点は11日なのだった。来年の3月頃にまた1人出家を試みようと思っているが、うまくいくかどうかは分からない。

作家の立松和平さんも「ブッダその人へ」という本の中に書かれていたが、若い頃、土方でアルバイトしてお金を貯め、インドへ1人旅立ったことがあるそうだ。立松さんが持参した文庫本は岩波書店の「ブッダの言葉」1冊だけだった。結局、インドでの長期滞在を途中で諦めて帰国するのだが、出国前に学生結婚していた奥さんがいたため、立松さんは在俗の暮らしに生きざるを得なくなった。

過去、ブッダやイエスの聖典を読んで強烈な出家意識が芽生え、信仰の生活に身を捧げた者は、洋の東西、男女を問わず多くいた。でも、人は過去世でよほど善行を積んでいるか、修行を常習として修めていないと、過去世の常習不足で、娑婆に足が向いてしまう。ブッダやイエスは過去世で相当に善行を積み、修行を修めてきたから、在俗との縁を断ち切れるほどの功徳を貯めることができたのだろう。1度出家したら最後、アートマンを極めるまでは(悟りを開くまでは)2度と故郷の方に足が向かわない。

「一心とは決定心(けつじょうしん)なり、決定心とは度衆生心(どしゅじょうしん、一般衆生を超えた心)なり、度衆生心とは無上上心(これ以上ない心)なり」

かつて神の化身クリシュナが説いた教えを、我が国の親鸞も説いていたのだ。





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by saiyans | 2015-05-18 01:07 | 人間の霊性についての考察


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