ラーマの日記

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2014年 03月 14日

ブッダについて


ブッダの伝記については多くの書物が記されているが、幾つかの点でサイババの語る内容と違っているため、修正が必用だと思う。インドでは各宗教・各宗派の聖典の誤りや、間違った解釈がサイババの言葉によって修正され、本来の形を取り戻している。キリスト教やイスラム教も様々な宗派が乱立し、混乱をきたしていたが、各宗教の信徒たちが世界中からサイババの下を訪れ、本来の意味を教わることで聖典の誤りが取り除かれ、本来の意味に立ち返ることができた。

インド国内に於いても過去にイスラム教世界の統治を経験していたりするため、皆が皆ヒンドゥー教というわけではないのだ。言語もヒンディー語と英語が基本らしいが、22にも及ぶ公用語があったりして、日本とは大分違う。それどころかインド国内には共産主義色が強い地域さえあるという。

手塚治虫さんの漫画「ブッダ」も、彼の想像力を膨らませた大作と言えるが、内容は完全再現とは言えない。日本国内で出版されている書籍の中では、サイババがブッダについて語った2冊の本を最高として、次に高橋信次さんの「人間・釈迦」全4巻(三宝出版)が、純度の高い霊感によって書かれているため信用できる。サイババの言葉に照らしてみると、内容に幾つかの誤りも散見されるため、内容は75%ほどの純度となるが、それでも一般の学識者が原典や専門書から間接的に得た知識とは違うので、真実味があり参考になる。

手塚治虫さんの「ブッダ」は最近アニメ化されたが、アニメーションの質が高いだけに、内容の純度が欲しかった。サイババと高橋信次さんのブッダ本を熟読してから、制作に取り掛かってほしかった。サイババによると、王子だったゴータマ・シッダールタは、29歳の真夜中に、御者を1人連れて、白馬で城を後にしたという。彼が城を出る直前に思惟した思いは、「すべては儚い」と浮かんだ後に、「すべては束の間のものである」そして、「すべては苦しみである」というものだったそうだ。

出家してからは多くの聖地を巡礼し、何人かの修行者の下を訪れ、多くの講話を聴き、それを実践しても心の安らぎを得られなかったゴータマは、苦行の中に真実は無いと思い至り、瞑想に専念した。修行中も、城から父王の遣いが何度も彼を迎えに来たが、その度に「父よ、あなたの力は、私を死から守ることができますか?」など、世俗の者が普段、己に問い掛けることのない質問をして難渋させ、城に帰るのを拒んでいる。

ゴータマという名前は、彼の育ての親で、継母だったマハー・プラジャーパティー・ゴータミーから取ってゴータマと名付けられたそうだ。ゴータマは生まれて7日後に母を亡くしたため、マーヤ王妃の妹だったゴータミーが王妃となった。彼女がシッダールタを大変慈しみ育てたため、その名を永遠に留めようという思いを込めてゴータマと名付けられたそうだ。

インドでは「幻」のことを「マーヤー」と言う。ゴータマの母の名はマーヤという名だった。ゴータマが出家して7年後に、この世界のマーヤーを克服し、アートマン(超越意識)に到達したことは啓示に満ちている。この世界に存在する幻想(マーヤー)を克服し、真理(アートマン)に至るプロセスは、そのままゴータマ誕生時の物語と見事にシンクロしている。

ゴータマは生まれた時に“天上天下唯我独尊”と言ったそうだが、これは、「全てはアートマンである」という意味だろう。アートマンは日本語で「真我」と訳されたりするが、これは「真の私」という意味だ。

宮崎駿監督率いるスタジオ・ジブリにも以前、インド叙事詩「ラーマーヤナ」のアニメ化の話が、インド本国から来ていたそうだが、ジブリはこの仕事を丁重に断っている。このジブリの判断は適切だったと思う。サイババによれば、「ラーマーヤナ」も時代を経るごとに内容が変わってゆき、原典の持つ精妙さが失われてしまったそうだから、そうした内容のものをアニメ化すれば、間違った物語を後世に伝えることになるため、これはナイス判断だったと思う。

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by saiyans | 2014-03-14 20:22 | 人間の霊性についての考察


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