ラーマの日記

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2013年 08月 04日

聖者たちの「意志」と私たちの意志の違い


聖者はアートマンを実現しているため、普通では考えられないことができる。距離などは関係ない。たとえばサイババは、インドに居ても私にサンカルパ(神の意志)を行使できた。

私は以前、「恵みの水プロジェクト」という、サイババが取り組む井戸掘り事業に寄付していたことがあるのだが、自分の収入から見て、大体月に千円くらいが浄財だと決めて寄付していたところを、たまたまその月は1万円寄付したことがある。祖母が私の働きを見て、大盤振る舞いをしてくれたのだ。

それで、そのお金を携えて郵便局に自転車で向かっている時に、それは起きた。左手がハンドルを掴んだまま、開かないのだ。普通は自分の意志が働いて、掴んだり離したりできるのが当たり前なのに、いくらやっても手が開かなかった。ようやく、なんとか開いたので寄付してこれたが、寄付した直後から不吉なことが沢山起こった。これは寄付が失敗したことを意味する。

寄付が正常に行われると、普通では有り得ないことが起こった。詳細は省くが、とにかく尋常でないことが次々に起こるのだ。1つだけ例を挙げると、普段、公園にいる鳥たちというのは人間を怖がって近寄ってこないものだが、私の足元まで来て、すり寄ってくるのだった。しかも、私が逃げると追いかけてきた。こんなことは、これまでの人生経験で初めてのことだった。

私はこの時の体験で、正しい労働によって得たお金の力の凄さを知った。たとえ百円であってもサイババは、正しくさえあれば受け取った。明らかに私の現収入をオーバーするような、不適切な金額の場合は受け取らなかった。この時、同時に深く実感したのはサイババの力だ。私はサイババのことを知る前に、カルロス・カスタネダの本を何度も読み返していて、ドンファンの言う、「意志」や「見ること」について考え続けていた。私がサイババと出会えたのは、霊性について深く考え続けていたからではないかと思う。サイババはインドのアシュラムでも、インタビュー(会見)では霊的な事しか質問することを許さなかったそうだから、日々霊性モードに入っていた私を見つけてくれたのだと思う。もし私が唯物思考に傾倒していたら、出会えたかどうかは分からない。

サイババは青山圭秀さんの著書「アガスティアの葉」の中で、「私の恩寵は何者にも優先する」と言っていた。サイババの意志(サンカルパ)は一般人のように日々弱ってゆく意志ではなく、この宇宙を維持する徳の広大さからしても、極大の意志であるため、何者にも優先するのだ。

考えてみれば、ブッダやイエスにしても、サイババの恩寵が無ければ修行することさえできなかったのだ。彼らよりも昔のブッダたち、阿弥陀如来だろうが、不空成就如来だろうが、アートマンが変わることなく宇宙を維持してくれていなければ、やはり修行ができなかったのだ。

このようにアヴァター(神の化身)という存在は、その威力が、私たち世俗の者と桁違いに違うため、物事を即座に成就できる。しかし、たとえ人間が礼拝したりしても、決して甘やかさない。人間の側が法則に従ったり、それを満たす努力をしていないと、動いてくれない。例えばサイババは愛の重要性を説くが、私たちがその教えに倣って、他がために行動を起こした時に、それをバックアップするような形で助けるのだ。

その方が結果として、成功に対する強い確信が伴うからだろう。今現在の世界情勢を見ても、海外の、独裁政権による弾圧が激しい地域の方が、庶民の意志が強い傾向にある。多分、エロ本などが厳格に取り締まられていて、道徳性が日本人のように弱められていないために、神の戒律(ダルマ)から外れていないことからくる強力な意志が集合的に収束した結果、社会変革が猛烈な勢いで進むのだ。

米日中韓の社会変革が今一進まないのは、やはりネットやゲームなどでエロや暴力的映像を見てしまうために国民全体の意志が弱体化してしまい、たとえ1つに団結しても、独裁国家の庶民たちの10分の1程度にしか意志が達しないためだろう。

チュニジア、エジプト、トルコなどの庶民たちは、日本人ほどアートマンが穢されていない。テレビ番組やラジオ放送なども、道徳性を伴った常識的なものだったために、意志の弱体化を防げたのだ。エジプトにはラマダンという断食の風習があるそうだが、断食は聖者たちもその有効性を説いているから、全国民でそれを実施するというのは、意志の強化に役立つだろう。日本人は彼らを見習わないといけない。彼らは長年蓄えた苦行の力により、ヨーガ率(神との合一度)が高いから、独裁政権を転覆させられるほどの“意志”に転換できたのだ。

これを見ても、個々人が自分のアートマンを穢れから守ることが、いかに大切かが分かるだろう。それがどれほど、いざという時に役立つかが分かるはずだ。例えば先進国では、女性が屋外でも素肌を露出するが、これだけで婦女の徳は下がるから、ヨーガ率が落ちてしまう。男がエロ本を立ち読みしただけで、妻以外の女を色目で見ただけで、その国のヨーガ率は落ちる。アートマンが曇るからだ。

先進国の川の水が濁っているのも、アートマンの穢れと合致すると思う。たしかテレビが普及したあたりから、川の水が濁りだしたそうだから、これは間違いないだろう。ということは、私たちが見るもの、聞くものが穢れていると、周りの環境世界、動物や植物までもが迷惑を被ることになるのだ。神のダルマから外れることが、全ての厄災の原因なのだ。

私たちは人生の初期に、自転車に最初乗れなくても、努力すれば乗れるようになるという体験を与えられる。次はテスト前によく勉強したことで良い結果を得、しなかったために散々な結果を得る、というように、原因と結果を観察する体験に導かれる。このことはアートマンの科学についても同様だ。アートマンを支配するための方法(ダルマ)を、サイババや聖者たちの本で学び、修行してアートマンを体験するのだ。


私たちは既に、「眠る」という体験を通して、アートマンの状態を体験してきている。熟眠時の脳波であるデルタ波(δ波)は、アートマンを実現した聖者の、サマーディーの脳波と同じと聞いたことがある。ただ、一般人はそのデルタ波を、覚醒時の目覚めた状態で体験することが許されていないだけだ。

アートマンを生まれながらに持っていても、先進国に住む者は物質的に先進的なのであって、霊的には後進国だったりするから、体験できないだけなのだ。このことだけ見ても、社会の霊的変革を成し遂げることが、最も急務なことだと分かるだろう。 



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by saiyans | 2013-08-04 01:27 | 人間の霊性についての考察


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