ラーマの日記

saiyans.exblog.jp
ブログトップ
2017年 04月 19日

意志の強化からアートマンに至るプロセスについて


ブッダやイエスも、“意志” が強化されていなければ瞑想に集中できなかっただろう。まず欲望を捨てることで、“決定を性とする知性”の確立に向かう。これにより将来的にサマーディー(心の消滅)が確約される。

彼らは多分、最初に “意志” の強化と来て、次にアートマンの成就、というような順序は想像できなかっただろう。サイババの話しではブッダもイエスも当初、修行に際して様々な場所を転々としていたそうだから、まず、「意志の強化」など考えが及ばなかったはずだ。

これは空海もそうで、当初は教えを求めて転々とし、大日経を探したりしている。でも最終的には文献学からオサラバしないとアートマンの成就は不可能、と気づいて、我が肉体のみを頼りとした修行に身を投じていく。おそらくこれが人間の霊的進化の段階なのだと思う。「あれもやり、これもやり」して、まず自分で何とか道に入る方法を手探りしている内に、内側で見ているアートマンが「こいつは本気だな。それじゃあ与えてあげよう」と、アートマンの知識を得ることを許すのだと思う。ブッダ、イエス、空海たちも、聖典の学習などを通して、あるいは師の教えなどを通してアートマンの存在を確信できていても、「どういうこと(修行)をしたら、そこに到達できるのか」というのは手探りだったようだ。

“意志” さえ手に入れれば心(欲望)も支配できるようになるため、修行は容易になるだろう。在俗の私たちが戸惑う、瞑想時の心の動揺を知らずに、アートマンに没頭できる。ラーマクリシュナ・パラマハンサの集中力も、修行の後半は強力な “意志” に支えられていたはずだ。一般人のように、あれこれ浮かぶ考えに一々立ち止まらなくて済むから、楽々と修行が進む。ラーマクリシュナにとっては12年間の修行などアッという間で、気がついたらサマーディーという感じだったと思う。

“意志” を手に入れるには感覚的刺激を遠ざけなければならないから、当然もうYouTubeも見れないし、ネットもできなくなる。できるのは神の名を唱えたり、神を想いながら生きることだけだ。サイババは、神はフルタイムの修行によってしかアートマンを授けることはしないと言っていたから、やはりダルマの道は誠に厳しいのだ。生まれてからこれまで慣れ親しんできた、動揺が当たり前の感覚的世界から、原初の、あの純粋さと美しさ、アートマンの至福に向かうには、ハードルがあるのだ。

いきなり何かを断つというのはやはり、副作用を伴うというのを経験済みなので、少しずつ切り離していくのが賢明だろう。私の場合、他者のYouTubeチャンネルを見るのは止めようと考えている。やはり制限なく動画を見ていると、意志が弱っていくのを実感するからだ。

生まれた時にはこの世界のことを何も知らないので、周りの大人たちに教えられて、物質的な法則を学んでゆくのだが、やがては満たされなくなる日がやってくる。そして中学生くらいから始まる心の動揺、幼い頃には無かった心の脆弱さに気づいて、これの強化に努めるようになるが、同時に心の強化は心に知性を集中することになるため、もう1つの片割れであるアートマンを見えなくしてしまう。

メキシコのヤキ・インディアンであるドンファンは、私たちが生まれた時に携えてくる力の輪が2つあると言っていた。1つはトナール(心・理性・社会的人格)で、もう1つがナワール(アートマン・神)だ。心を強化することは、トナールを鍛えることになるため、徐々にアートマンは影が薄くなり、19歳くらいになると殆んど忘れられてしまう。子供の頃は純粋さや不動心などを通して享受できていた、アートマンの美しさと強さを忘れてしまう。


ドンファンは自身の体験から、そうした順序(最初に意志の強化と来て、次にアートマン)を経て向上するのを理解したから、弟子のカスタネダにもそのように教えた。師のナワール・フリアンも “意志” の成就が先だったことから、確信できたのだろう。友人のヘナロもそうだった。

ドンファンには知者の友人が他にもいたが、彼らもやはり “意志” を使うことができて、さらに “見る” こともできた。これを見ていると、アートマンを知ることがブッダやイエスにだけ許された特別なものでないことが分かる。欲望を捨てることで、やがては “意志” を持つに至り、さらなる成就を目指して(“見ること” を目指して)日々を生きていれば、そのうちに辿り着けるものなのだ。

私たちが「あれもしたい、これもしたい」、「あれも欲しい、これも欲しい」という欲求を持ち続ける限り、意志は健康で真っ直ぐなものにならず、アートマンの成就は遠のいてゆく。サイババが、「あなたがたは苦しむだろう。それは、あなたがたの愛着が、物質に向かっているからにほかならない。あなたがたは悲しむだろう。それは、あなたがたが神を拒んでいるからにほかならない」と言ったのは、まさしくこのことだ。ラーマクリシュナも、「ダルマの道は誠に厳しい。欲望が1つでもあると、神に届くことはできない。針に糸を通すのに、1つでもケバがあったらダメだ」と言っていた。

神に近づくと、近づいた分、“神の意志” を行使できるようになり、さらに近づいて一体化すれば心が消滅して、クリシュナ言うところの 「私の状態に達する」 となるのだ。

カーストの違い、個々人のダルマ(本分)の違いによって、意志の発達のさせ方は違う。勤め人なら遅刻しないとか、税金を滞納しないとか、部下の面倒をよく見るとか、扶養家族がいるなら、よく面倒を見るなどがある。教師なら生徒の人格を高めるために道徳的価値観を教えて、奉仕の大切さを繰り返し説くとか、政治家なら善政を布いて、国民を我が子のように慈しみ、真のサービスとは何かを追及し、国家を発展させるなどがある。


現代人の問題点は、「自分の行為・仕事を神に捧げる」 というのを教わっていないばかりに、カルマ・ヨーガ(善行による神との合一)を実践することができず、人生を無駄に生きてしまう点だ。



参考資料

「呪術の体験」 分離したリアリティー 二見書房
カルロス・カスタネダ 著 真崎 義博 翻訳

「未知の次元」― 呪術師ドン・ファンとの対話 講談社学術文庫
カルロス・カスタネダ 著 名谷 一郎 翻訳

「バガヴァッド・ギーター」 岩波文庫
上村 勝彦 翻訳

「サイババ イエスを語る」 サティア サイ オーガニゼーション ジャパン刊
サティア・サイババ 述 牧野元三 和訳

「慈悲・仏陀の教え」 サティア サイ出版協会
サティア・サイババ 著

「不滅の言葉」(コタムリト) 中公文庫
田中 嫺玉 著

「インドの光 聖ラーマクリシュナの生涯」 中公文庫
田中 嫺玉 著

「バガヴァン シュリ サティア サイババとの対話」 サティア サイ オーガニゼーション ジャパン刊
J・S・ヒスロップ 著 牧野 元三 監訳

「理性のゆらぎ」 三五館
青山 圭秀 著

「サンカルパ」 三五館
青山 圭秀 著

「愛と復讐の大地」 三五館
青山 圭秀 著

「知ってるつもり?!」 日本テレビ
弘法大師 空海 2000年10月29日放送


[PR]

by saiyans | 2017-04-19 21:54 | 人間の霊性についての考察


<< ピアノ教育と弓道の連携      部屋内の改善に着手 >>