ラーマの日記

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2014年 02月 03日

ヴェーダ的生き方への回帰


現代は不道徳性が四分の三を占める「カリ・ユガ」と言われる時代。人々は霊性について無関心になり、本当の幸せを見つけられずに苦しむ時代。「ヴェーダ」と言われる天啓聖典には、「善行招福」や「悪行招災」といった基本原理が説かれているが、似非宗教家や悪徳商法の犠牲になった人々は、1度裏切られたら最後、霊的事象には見向きもしなくなる。その結果、無神論の罠に陥り、人生を苦しみに満ちたものにしてしまう。

私たちは専門的な技能・仕事を身に付ける際、枝葉に水をやるレベルの学習法・・・、先代のやり方を踏襲して採用する。アートマン(超越意識)という、一切の根っ子(神)に水をやらずに、枝葉に水をやり続けるのだ。瞑想やヨーガが、根っ子に水をやる作業だとは考えないから、多様な枝葉に目を奪われてアートマンに向かえない。アートマンは一切の執着、欲望、偏見、憎悪の無い、清らかな知性によってのみ到達されると言われるから、大人になってから求めるには遅過ぎるのかもしれない。テレビ、ラジオ、ネットから流れる負の情報、印象群によって、顕在意識、潜在意識共に汚れてしまっているからだ。ある種、絶対音感を大人になってから求めるようなものだろう。

私たちが普段の生活で触れるメディアの影響によって、読書は毒書に、テレビやラジオは毒視・毒聴になってしまっているかもしれない。でも、長年瞑想し続けた人は7歳くらいの清らかさに到達できるようだから、少しは絶対の源であるアートマンに触れられるかもしれない。

以前テレビで見たのだが、赤ちゃんには蚊や蛇が寄り付かないし、抵抗しないのだった。赤ちゃんを透明のケースに、蚊と共に入れてカメラ撮影していたが、全く寄り付かなかった。逆に大人のほうはビシバシ吸血されまくっていた。

蛇も、赤ちゃんと共にケース内にいる時は、穏やかな感じで、気持ち良さそうだった。赤ちゃんが蛇を追いかけて掴んだりしても、「やめてくれよー。困ったなー」という顔で、やはり穏やかな顔は変わらなかった。ところがケース内に大人が入ると、「シャーッ」という感じで、敵意を剥き出しにしていた。

古代中国の老子も、「赤ん坊には毒虫も蛇も咬みつかないだろう?道(アートマン)と一体化しているからさ」と言っていたから、この実験によって老子の言葉が証明されたわけだ。インドのヨーガ行者もアートマンと一つになっているため、森のライオンは近づかないそうだ。

普段、「道徳的」と思われている公共放送NHKですら、事故や強盗、殺人事件ほか、あらゆる不道徳性を放送して視聴者のアートマンを汚しているのだが、それらの情報はネガティブな要素で満ち溢れているがゆえに大変危険なのだ。決定的なのは、日本のTVドラマや映画には、神聖さを満たす要素が何も無いこと。ただでさえ子供は感覚が無防備なところに、世界のあらゆるネガティブな情報群に触れるのだから、彼・彼女ら幼子の潜在意識に刻まれる微細な印象群は、恐れ、疑い、戸惑いに満ちたものになるだろう。

7年ごとに人の運命は刷新されるそうだから、無防備にネガティブな情報を摂取し続ければ、7年で不浄性レベル1。14年でレベル2と来て、レベル12ぐらいで死を迎えるのが、現代では普通なのかもしれない。

逆に、失敗に気づいて、7年を神聖さや道徳的な要素で満たしていけば、7年ごとに良い方に刷新されて、運命が純白なものに変わっていくはずだ。目や耳の食べ物(視覚・聴覚から摂取する感覚的印象)に、「水」、「薬」、「毒」と3種類あるとしたら、日本人は今、あらゆるメディアから垂れ流される毒を喰らい続けている状態にある。過去世の業の深さ、カルマの重さを物語っているとも言えるかもしれない。

実際、ヒマラヤ生まれのヒマラヤ育ちで感覚を汚すものが無く、一生涯を清浄な心で生き切れる者も存在するため、神仏は明らかに、前世の所業の結果を、一切衆生の眼前に示していると思う。

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by saiyans | 2014-02-03 22:18 | 人間の霊性についての考察


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