ラーマの日記

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2014年 02月 01日

アニメ 「魔界都市 新宿」 に見る霊性


私が中学生の頃、弟が「魔界都市 新宿」というビデオを借りてきた。初めてタイトルを見た時は、「何でこんな怖いの借りてくるんだ?」と怪訝に思ったが、アニメなので、いくらか恐怖もデフォルメされて薄れているのではないか?という読みで、とりあえず見てみた。

私はこの頃、霊的な事象にことさら興味があるわけでもなく、UFOも信じていなかった。しかし、見始めて直ぐに始まる、このアニメのCMから、「このアニメは普通のアニメとは違う」と気づき始めた。およそタイトルからは想像もできない神聖さが漂ってきたのだ。

           
最初にヒロインのラマ・サヤカが主人公の十六夜京也(いざよい・きょうや)に言う。

「魔界都市へ行ってください。あなただけが、最後の希望なのです」

そこからはめくるめく映像美で圧倒された。製作したのは「マッドハウス」という会社だったが、映像の木目細かさで一目置かれる会社だった。

ラマ・サヤカの声を当てていたのは鶴ひろみさんで、「ゴースト・スイーパー美神」でも美声を披露した声優さんだが、初めてこの人の声を聴いた時は、「こんな美しい声を持つ人がこの世にいたのか・・・」と衝撃を受けた。それまでも「伝説巨人イデオン」でカララ・アジバの声を当てていた戸田恵子さんなど、美しい声の人はいたが、戸田さん以来の衝撃だったと言っていい。これは京也の声を当てていた堀秀行さんも同様で、惚れ惚れするようなイイ声だった。

このアニメはまた、ストーリー、キャラクターデザイン、声優陣、音楽、設定など、どれもが絶妙で、神がかっていた。菊地秀行さんの原作小説も読んだが、残念ながらアニメ版のようには感動できなかった。このアニメは原作の中の基本設定を基に、新たに川尻善昭さんのアイデアを盛り込んで作り上げた、別バージョンと言ってもいいと思う。

充分な製作期間さえあれば、日本のアニメーターはここまでできるというのは、OAVシリーズや夏休みのアニメ映画を見れば分かる。テレビの週間放送ペースでは仕事が雑になってアニメーションの質が落ちてしまうのだ。しかも、その週間ペースに追われて描き上げた、やっつけ仕事的な作業で生まれた代物が、後にアニメビデオとしてそのままリリースされるのだから、これは悲劇だ。

1秒間に24枚も絵を描かねばならないのだから仕方ないと言えば仕方ないのかもしれないが、隔週ペースに変えたりしてアニメーションの質を維持してほしかった。放送間隔が空き過ぎると視聴者が離れると思うのかもしれないが、イイ仕事をすれば視聴者はついてくるから心配ないと思う。何より今はネットで国境を越えて瞬時に伝わるから、アニメーター各氏にとっても、やっつけ仕事の結果が全世界に流れていくのは心残りになるだろう。仕事の結果が半永久的に残ると分かれば、気合の入れ方も違ってくるはずだ。

「ドラゴンボール」なども、アニメの進行ペースが連載中の原作漫画に追いついてしまうのを避けるために、1話を複数週で展開したり、必要以上に1シーンの「間」を空けたりして、何とか次の週までもたせていたようだ。


「魔界都市 新宿」の物語を一言で言うと、霊性(愛)の復権的アニメだと感じた。もちろん当時ではなく、今にして思えばだ。

魔界に住む者たちは金が全ての者たちだった。ドクター・メフィスト、子供、情報屋のばあさん、皆お金本意の人たちだった。なぜ日本国の経済システムからはみ出た魔界都市の中にいるのに、経済活動が可能なのかが疑問だが、とりあえずは魔界都市の中でも商売が成り立っていた。

普通に考えれば、自分の住む街が魔界になったら、そこを出て新天地を探すものだと思うが、魔界の住人達は魔物に支配された街にいても、さほど変わらずに居住していた。
サヤカと京也が中に入れたということは、外から中に入るのは容易でも、一度入ったら出られない妖気というか、バリアがあるのかもしれない。

京也の父・源一郎は、インドかチベットで、師のアグニ・ライから念法を教わり、やがては究極的な宇宙精神との霊的一体化に到達するかに思えるほどの人だったそうだが、同門のレヴィー・ラーに嫉妬され、後に魔界に身を売ったラーに新宿で殺された。ただ源一郎に勝ちたい一心で、ラーは東京まで彼を追いかけてきたのだろう。でも、ライの弟子として迎えられた過去があるということは、ラーにも宇宙精神(ブラフマン)との霊的一体化を目指せるくらいの素質はあったのだ。今現在の進歩状況から見て、源一郎が一歩先んじていても、自分のその後の努力で遅れを挽回できるとは考えられなかったのだろう。人間は何度も生まれ変わって霊的に進化し、究極的には神の元に帰る、一体化するというのが、確信として掴めなかった。だから師のライに背反して真逆の道に転落した。霊的に落第して、地獄からやり直しになってしまったのだ。

ラーも源一郎も共に霊的なものを求めていたのは変わらないが、ラーが呪術的な力を求めたのに対して、源一郎はブラフマン(宇宙意識)が目的地だった。ラーと源一郎は弟子時代に多少の馴れ合いもあって、共に励まし合いながら研鑽に励んでいたのかもしれない。共に霊性の道を歩んでいても、途中でラーには怒り・憎しみにより疑いが生じ、道から逸れて行ったのだ。

源一郎もラーも剣術で道を体得しようとしていた点は、霊的修行という観点から見て面白い。普通は聖典「バガヴァッド・ギーター」でクリシュナが説くように、何らかのカルマ・ヨーガ(行為を神に捧げてエゴを消滅させる行法)で自己を浄めてから、寂滅(瞑想)に入ることが許されるはずだから、源一郎は木刀を用いた剣道修行をツールとして用い、ラーはソード(剣)で精神統一を図りながらエゴを消滅させようとしたのだろう。このことからして、アグニ・ライ一門の指導方針は「各自の自由な方法で道を探求せよ」というものだったはずだ。

剣術で世界性を得ている分野と言ったら、日本の剣道か、ヨーロッパのフェンシングぐらいだろうから、源一郎とラーは剣道で出会ってライバル意識を燃やし、辿り着いた先がアグニ門だったという推測もできる。

源一郎の子供である京也は、幼い頃から父に無理やり剣道と念法を仕込まれた結果、全国優勝するくらいの腕前になっていたようだ。京也は街の道場で子供たちに剣道を教えていたから、その名声が街中に轟いていたであろうことが推察される。

「うちの倅を京也君の所で学ばせよう」くらいの信用を得ていたはずだ。

父から受け継いだ剣術の素養と霊的素質を武器に、16歳の京也は日銭を稼いでいたのだろう。剣道指導のアルバイトをしながら生計を立てていたのだ。

「10年前に親父は蒸発してそれっきり」と思い込んでいた京也だったが、ある日道場に瞬間移動してきたアグニ・ライに、源一郎の死を告げられる。レヴィー・ラーと死闘を繰り広げた末に敗れたこと、そして今、自分の念法の力が求められているのだということも。ここでも京也はシニカルな対応をして、皮肉交じりの言葉の応酬をライと一緒になって繰り返すが、道場の帰り道では、そのことを真剣に考えているようだった。

帰り道の途中で、ラマ・サヤカに出会い、「魔界都市に行って父をお救いください」と懇願されるが、京也はライへの対応と同様、皮肉交じりの受け答えをしてサヤカを落胆させてしまう。

何を言っても、京也には「無理だ」と言われ、結局一人で魔界都市に行く決意をするサヤカだった。別れ際に「心配なさらないでください。私、足速いですから」とサヤカに言われ、強情な娘だと思いつつも気に掛かり、最終的には自分も魔界都市に乗り込む決意をする京也だった。

この「魔界都市 新宿」を見ていて感じるのは、日本に失われた道徳性や愛の大切さを思い出させてくれるものだということだった。京也は一見すると浮付いたガキのように見えるが、そこに宿る精神は、特攻隊の若者たちのような純朴さがあった。かなりの精神修養を積んできたであろうことが推察されるくらい、その行動は徳性に満ち、観る者に満足感をもたらすものだった。

ラマ・サヤカは、京也に欠けていた純粋な愛を思い出させるほどに、正義と愛を発散していた。物語中盤で、まだ魔界になる前の新宿で地震に遭い、母と死に別れた地縛霊の女の子に対する、身を賭した精神的、霊的救済は、そこに地縛されていた多くの地震被害者たちの霊をも、一人残らず成仏させるほどの力があった。

この世への未練、執着、欲望を遂げられなかった魂たちを、一気に昇天させるほどの愛が、サヤカにはあった。サヤカの無私の愛を見た地縛霊たちは、本物の愛(自己犠牲)とは何かに触れ、もうこの世に思い残すことなど無くなったのだ。その本物の愛(神)を見たいがために人間は、永久の昔から地上に生まれ、彷徨い、転生を繰り返しているのではないかと思われた。

サヤカの愛を見て、人間存在の本質に開眼した京也は、レヴィー・ラーを成仏させるために立ち上がる。

サヤカと京也の互いの力が、闇を打ち破るには何が必要かを私たちに教えている。愛と道徳性が光を齎すことを私たちに教えているのだ。この物語を観た少年・少女たちは、何か言葉にできない、精神を鼓舞される体験を得て、最終的にブラフマン(宇宙意識)を実現するような気がする。



参考資料

「魔界都市 〈新宿〉」 ジャパンホームビデオ
出演 堀秀行 鶴ひろみ 小林清志 監督 川尻善昭

「バガヴァッド・ギーター」 岩波文庫
上村 勝彦 翻訳


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by saiyans | 2014-02-01 23:27 | 人間の霊性についての考察


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