ラーマの日記

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カテゴリ:人間の霊性についての考察( 37 )


2018年 08月 21日

プージャの原理 考察


ヒマラヤに住むヨギ(ヨーガ行者)や、カーストの頂点にあるブラーミン(僧侶)、プージャーリたちが報酬を受け取らない理由は、基本的にサットヴァ(浄性)が優位な状態で誕生しているということ以外に、何があるだろう?

それは、前世の常習にある。「タパス(苦行)、プージャ(祭祀)、ダーナ(施与)」を、人生を通して継続してきた、魂の歴史があるのだ。

プージャの実行によって魂が浄化され、もはや自分のことは何も願わない、他者の幸福のみ、となった、準備のできた清らかな魂のみが、上位の階級に生まれることができる。

彼らは何も所有していないように見えるが、過去世で膨大な施しを積んできた魂であるため、深い因果のレベルから神に守られている。


ビル・ゲイツやスティーブ・ジョブズなどは、「企業家としての成功」は今世で果たされたため、もはや障害物が無くなり、来世は他者のためにのみ生きることが可能になる。

言わば、彼らですら今世では解脱できないのだ。膨大に積んだ施しなどの功徳も、それを消費し切らなければ、生まれ変わりの因になってしまう。


ではどうするか?

来世で再生したら、功徳の力を他者へのプージャに充てることで消費するのだ。

彼らプージャーリたちは言わば、良いことを過剰に積み過ぎて解脱を妨害されており、それらの功徳を他者の借金(カルマ)の肩代わりに使うことで、「報酬を期待しない行為」を実践し、解脱に至るのだ。

パラマハンサ・ヨガナンダの説く教えによると、お金に執着を持つだけでも、地上に生まれる原因になるということだった。

理由は「天界にはお金は無いので、それを成就するためには、地上に生まれねばなりません」とのこと。また「『タバコを吸いたい』と願っただけでも地上に生まれる」とも述べていた。理由は先ほどと同じだ。


「無所有」というのは、在俗の価値観からすると「貧乏」と同義に思えるが、実は自己への欲望を超越しているがゆえに、何も持たないだけなのだ。彼らこそ真の強者であり、福音を齎す者なのだ。




参考資料

「バガヴァッド・ギーター」 岩波文庫
上村 勝彦 翻訳

「パラマハンサ・ヨガナンダの成功の黄金律」(叡智シリーズ)出版:三雅
パラマハンサ・ヨガナンダ 著

「ムー」 学研

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by saiyans | 2018-08-21 10:54 | 人間の霊性についての考察
2017年 10月 04日

「サンカルパ」ってすごい


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青山圭秀さんの著書「サンカルパ」の中に、水が流れる方向による運勢の良し悪しが書いてあったのを思い出した。

「風水」の原型と言われる聖典「スターパティア・ヴェーダ」(建築の科学)に書かれているらしい。


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このほかにも、「土地は四角くなければならない」、「川と平行でなければならない」、「寺院にあまり近過ぎるのも良くない」などが書かれていた。

ウチは、雨水の流れる方向が北から南なので、運が良くないようだ。

近所に、南から北に流れる家があるけど、確かに栄えている。


「古代の叡智は、わしらが現代人が完全に途方に暮れた時に、息を吹き返すんだ」と、ドンファンは言っていたが、妙に納得できるのは、青山さんの書いた一連のノンフィクション本を読み続けてきたためだろう。


霊的なものの見方を現代人が失わないように、時代に応じて生まれてくるのが、青山圭秀さんのような水先案内人なのだと思う。

青山さんは例えば、アーユルヴェーダはシャシクマールさんのネチール家に教わり、インド占星術も本家筋の方に出会えて教わり、予言書も、代々それを受け継いできた家系の方から直接に話を聞き、スターパティア・ヴェーダはその家系のカニパヨール氏からというように、ことごとく本物たちからその分野のエッセンスを享受されている。

やはり第9室の強い木星(アシュタカヴァルガの値は最高点の「8」)が、青山さんを叡智に導くように働いているのだ。

青山さんの予言書には、「過去世の1つで王族に生まれた」とか、「由緒正しいブラーミンの家系に生まれ」などの記述が見られるが、王族だった頃は当然、宮廷にお付きのブラーミンたちに毎月プージャをしてもらっていただろうし、ブラーミンの頃は自分でプージャをするなど、何度も生まれ変わる度に祭祀を催してきたから、ほとんどの惑星が神的な部屋に配座する形で生まれるなどの吉祥に恵まれているのだ。

ブッダやイエス・キリストもそうだと思う。ブッダは釈迦族の王子だったし、イエスはダビデ王の家系に生まれているのは、彼らも過去世で、数え切れないほどのプージャを行ってきたから、生まれた時から心が清浄で、神を実現できるくらいの素質に恵まれて誕生できたのだ。


「スターパティア・ヴェーダ」のカニパヨール氏は、インド各地から招かれて、土地や方角の測定、建物の高さ、外壁のデザインなどをアドバイスしていたようだが、このことはこの分野の本家筋がどれほど少ないかを物語っている。

青山さん自身も、インドにある大型書店をたくさん回ってみたけれど、ほとんど文献らしいものが見当たらないことに驚いたそうだ。

同じインド文化でも、例えばインド占星術学校があり、アーユルヴェーダ学校があっても、 スターパティア・ヴェーダ学校は無いと思う。インド占星術師やアーユルヴェーダ医は沢山いても、スターパティア・ヴェーダ師というのはほとんど稀なのだ。カニパヨール氏自身にも息子がいるそうだが、まったく興味を示さないことに絶望している、というようなことを、青山さんの前で愚痴っていた。

もし日本人の誰かが、カニパヨール氏に弟子入りして、10年の修業の後に帰国、開業すれば、日本中から引っ張りダコになるだろう。土地の選定、運勢が良くなる形の家の建設など、インド直伝の叡智を母国に齎すことになれば。

それこそ、玄奘三蔵が膨大な仏典を中国に持ち帰った時や、空海が真言密教を日本に持ち帰った時くらいの歓迎を受けるはずだ。





参考資料

「サンカルパ」 三五館
青山 圭秀 著

「ドンファン・シリーズ」 二見書房
カルロス・カスタネダ 著 真崎 義博 翻訳

「慈悲・仏陀の教え」 サティア サイ出版協会
サティア・サイババ 著 

「サイババ イエスを語る」 サティア サイ オーガニゼーション ジャパン刊
サティア・サイババ 述 牧野元三 和訳

「ウパニシャッド」
シュリ・サティア・サイ・出版物日本刊行センター
サティア・サイババ 著 若林 千鶴子 翻訳

「釈迦の本 ― 永遠の覚者・ブッダの秘められた真実」 学研
NSM ブックスエソテリカ宗教書シリーズ

「空海の風景〈上, 下〉」 中公文庫
司馬 遼太郎 著

「知ってるつもり?!」 日本テレビ
弘法大師 空海
2000年10月29日放送

「知ってるつもり?!」 日本テレビ
三蔵法師 玄奘三蔵
2001年9月2日放送


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by saiyans | 2017-10-04 03:57 | 人間の霊性についての考察
2017年 09月 09日

ギーターは深い


サイババは以前、ヒスロップ博士に、こう語ったことがある。

「恩寵を得るのは難しいことだと思われるかもしれない。しかし、本当はそうではない。そのための手段を知り、それを用いさえすれば、恩寵を確保することほど容易なものはないのです。『ギーター』の中にその手段が与えられている」

「ふーん・・・どこだろう?」と思い探してみると、次のような節に解答が示されていた。


「行為の成就を望む人々は、この世で神々を供養する。実に、人間界に於いては、祭式(プージャ)から生ずる成就は速やかに実現する」 バガヴァッド・ギーター 第四章。

「祭祀と布施と苦行の行為は捨てるべきではない。それは行われるべきである。賢者たちにとって、祭祀と布施と苦行は浄化するものである」 バガヴァッド・ギーター 第十八章。


祭祀とはプージャのことで、施しはサイババの奉仕団体が運営するサティア・サイ中央財団か、アマチへの寄付がベストだろう。苦行は、24時間フルタイムの断食を、月に1度くらいやればいいかも。(私も今年は1回だけやった)。サイババは以前、「神はパートタイムの帰依は認めない」と話していたので、フルタイム断食は浄化力も強いはずだ。というより、俗人ができるフルタイムの苦行なんて、断食くらいしか無いのでは?


「プージャの代金って、もう少し安くできないのかなー」と思ったが、青山圭秀さんの著書「愛と復讐の大地」の中に出てくる「シヴァ神の予言」に、どれだけ手間暇かけてヤジュナが行われるかが記されていたので、納得できた。以下にその箇所を紹介する。


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「パールヴァティはシヴァ神を讃え、祈りを捧げ、愛するこの人のディークシャ・カンダム(償いのための日々の勤行)を明らかにしたいと欲した。それは騙され、失望に沈む息子を、不幸の淵から救い出し、幸福な人生を送らせるためである。シヴァ神はそれに応え、次のように語った。」


「今ここに、わたしは彼のディークシャ・カーンダムを口述する。それは、彼のみならず、そなたをも幸福にし、満足させるためのものである」

「この人の名はマサヒデ・アオヤマであり、ディーパックとしても知られている。これを読むとき、彼は36歳だ。この時期、彼は多大な混乱の中にある。理由もなく、裁判に巻き込まれるだろう。周りの人間が困難を与える。ある人々は彼を妬み、陥れようとしている。彼は騙され、心を悩ませなければならない」

「慈善的な活動においても問題が生ずる。敵対する人々からの妨害、嫉妬。仕事における緊張と心労、重荷と遅延・・・。一連の困難に巻き込まれる。このような邪悪な結果を避けるため、彼は私の長子(ガネーシャ)のヤントラ(護符)に、マントラ(真言)とプージャ(犠牲供養)を捧げる必要がある」

「ナーディ・リーダー(予言を読む者)は、このマントラを毎日108回、朝夕唱えなければならない。果物と花、ギー(バターを精製したもの)、菓子とココナツ、ミルクなどを捧げ、48の4倍の日にち(192日間)、これを行う。その後、彼はこの護符を礼拝し、身につけなければならない。それにより、困難と遅延、重荷は取り除かれるだろう。裁判には勝ち、嫉妬する人々の企てを挫くことができるだろう。心の平安を取り戻すことができるだろう」


アマチが集めたプージャーリたちも、ナーディ・リーダーたちのように誠実な努力をしてくれるだろうから、成就する力が強いことが推察される。


それにしても、「ギーター」を解釈するのは難しい。サイババがヒスロップ博士に話していた「恩寵」とは、プージャのことだと気づくのにさえ、16年もかかった。今後はガネーシャ神へのプージャもお願いして、知性を鋭くしてもらおう。そうすれば、聖典の解釈も速く進み、余計な苦労をせずに済むはずだ。



参考資料

「バガヴァッド・ギーター」 岩波文庫
上村 勝彦 翻訳

「バガヴァン シュリ サティア サイババとの対話」 サティア サイ オーガニゼーション ジャパン刊
J・S・ヒスロップ 著 牧野 元三 監訳

「アガスティアの葉とサイババの奇蹟」 徳間書店
深野 一幸 著

「愛と復讐の大地」 三五館
青山 圭秀 著

「聖母アマチの教え」― ヴェーダの叡智 ― [改題新版] 知玄舎
西田みどり 著

日本MAセンター プージャ


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by saiyans | 2017-09-09 03:26 | 人間の霊性についての考察
2017年 05月 21日

すべては「理性のゆらぎ」のお蔭


青山圭秀さんがこの本を記さなかったら、私の人生はどうなっていただろう?と思う時がある。

この本が無ければ、インド占星術も、このブログで紹介していない。神の存在についても、何も思うことがなかったはずだ。アメリカほか、様々な国々でサイババを紹介した本は沢山あるけれど、流麗なタッチで、自然にそれを描いてみせる作家は、青山さん以外に存在しないと、私は思っている。

金星のダシャー期に、畳み掛けるように出版された青山さんの一連の著作は、間違いなく日本国を救ったと思う。第二作 「アガスティアの葉」では、インド占星術について更に突っ込んだ探求が為された。九つの惑星があり、その内の二つ、ラーフとケートゥは、目に見えない霊的な惑星であるらしいことが分かった。

天王星、海王星、冥王星の三星をシヴァ神は予言で語らなかったが、それはその周波数が地球まで及ばず、生命体になんの影響も与えないためなのだろう。


「アガスティアの葉」には次のような場面が出てくる。アガスティアがシヴァ神と交信している最中に、弟子が質問するのだ。


「わが師アガスティアよ、この人のホロスコープを見ると、ラーフ(上昇交点、一般的に良い影響を及ぼさないと言われる)が第七室(結婚、配偶者の部屋)にありますが、これは悪い兆候ではないのでしょうか。過去世での罪による、悪い影響を表しているのではないでしょうか。それなのにこの結婚は、なぜあなたの言われるようなよい結末となるのでしょう。彼は運命の相手に出会うのでしょうか。そこに、なんらかのブロックがかかっているのでは。結婚生活に困難は現れませんか。子供は生まれるのでしょうか。彼が経験するはずのこれらの悪い影響を、師よ、あなたはなぜ無視なさるのですか」

「この質問に対し、尊神シヴァは直接答えた。」

「前世の罪の結果、困難が生ずる。遅延、失敗、発熱、リウマチ・・・。縁組の重荷と迷い、そして出費。だがこれらの悪い影響を減ずるため、私はシャンティとディクシャの章に処方箋を口述する。それを読み、そこに記した処方箋をそのまま実行に移すのは、決して簡単ではないだろう。だが、彼はこの処方箋を正しく実行し、その結果を楽しむことになる。そして、それは全て、同時代に生まれ合わせるわたし(シヴァ神)の化身、サティア・サイの恩寵のゆえだ。それによってフィアンセは愛らしく、いつまでも魅力的であり続けるだろう」


アガスティアの葉を読むナーディ・リーダーの話しによると、インド人の葉が一番多く遺されているが、日本人の葉も沢山出てくるそうだ。ただ、西洋人の葉は非常に少ないという。青山さんの葉は十六の章に分かれているが、おそらくこの形式が本物の特徴だと思う。


青山さんの理性は、その後もゆらぎ続けた。土星期の本厄期に、何年かインドへのビザが取れなくなる困難に直面した時は、キリスト教の聖人を巡る旅を企画し、仲間たちとヨーロッパを回っていた。

それらの経験を元に書かれた著書 「最後の奇跡」も買ったが、やはり青山さんは「神聖ノンフィクション作家」の方が百倍イイと思った。フィクションの要素がちょっとでも入ると、私的には興醒めしてしまうのだ。

それとサイババの言葉が時々入ると、内容がグッと引き締まる。歌で言えば「サビ」のようなものなのだ。神の黄金の言葉は。


結婚している方々は、青山さんの著書を人生の指南書として、子育てほか、万事に臨むのだろう。そしてそこで得た霊的な経験などを我が子に伝え、それがその家の伝統として代々受け継がれていくのだ。

例えば我が子が学校でイジメに遭った時など、そのための処方箋をアドバイスできる。

こう言うだろう。

「登校前に神社でお参りしてきな。12時間だけ守られるから。」

「コンビニのレジ横の募金箱に、自分で稼いだお金の百円玉を入れてみな。12時間だけ守られるから。」

「朝一で学校に行って、イジメてる子の机を雑巾で拭いてみな。イジメが止むかもよ。それでも止まない時は、前世の借金が多いからだから、登校前に公園のベンチも雑巾で拭いてみるといいよ。」など。


もうそろそろ、青山さんの著書で学んだ「青山世代」が、親になり、教職に就き、政府内の空席に着任する頃だ。その人たちは日本のあらゆる問題点に光を投げかけ、世界に誇る国に変えていくことだろう。



参考資料

「理性のゆらぎ」 三五館
青山 圭秀 著

「アガスティアの葉」 三五館
青山 圭秀 著

「アガスティアの葉とサイババの奇蹟」 徳間書店
深野 一幸 著

「最後の奇跡」 幻冬舎
青山 圭秀 著

「バガヴァン シュリ サティア サイババとの対話」 サティア サイ オーガニゼーション ジャパン刊
J・S・ヒスロップ 著 牧野 元三 監訳


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by saiyans | 2017-05-21 00:52 | 人間の霊性についての考察
2015年 10月 20日

生まれ変わりからの解放を目指す


現在のカリユガ(末法の世)では、人々の平均寿命は120年ほどとされる。1つ前のドゥヴァーパラユガでは240年。その前のトレーターユガが多分480年。最初のクリタユガでは960年。

黄金の時代であるクリタユガでは宗教や聖典が存在せず、皆が皆、宗教的に完成された生活を送っていたという。物の売買も無く、あくせく働くことも要らず、必要な物は求めただけで手に入った。人間は神そのもののように純粋で、天界と地上の往来も簡単にできていたそうだ。

それがいつの日か、人間の力に限界が見え始め、地上を這い回ることしかできなくなった。人々は欲望に取り憑かれるようになっていき、願いを叶えようと様々な犠牲供養が考案されるようになり、その冒涜的行為によって、当然のように堕落していったと。

道徳的生活は宗教的生活に至るまでの最初のステップなので、道徳を序盤に学び損ねると、天界行きは難しくなる。共産主義者(無神論者)が道徳を嫌うのは、それが宗教的理解に繋がってしまうからだ。このようにして中国は現在の地位にまで堕落したのだ。


不思議だが、インド占星術のダシャー年数も120年なのだ。これはカリユガ専用のマハー・ダシャーであり、ドゥパーパラユガでは240年だったのかもしれない。

将棋でも、初手から終局までの平均手数は120手ぐらいで、巧く指せば長生きできる。序盤で躓くと短手数で終わる。序盤で戦略的に駒を前に進められれば、面白い中盤が待っている。

平均手数120手と、カリユガの平均寿命120年、マハー・ダシャーも120年・・・似ている。

私は詰将棋が苦手だが、これは人生の終盤を早くも暗示している。おそらく大駒を愛し、何もかも捨て切って神の前に立つという理想には届くまい。「王より飛車を可愛がり」というタイプだ。その大駒とは、女と金という雲霧だ。幾転生もそれに執着して生きたために、それらが本物だと思い込んでいるのだ。

欲望に振り回されるようになると、天界と地上の行き来が難しくなるというなら、持ち駒はゼロが理想だが、これには本物の信仰が必要になる。

ラーマクリシュナ・パラマハンサは言う。
「ダルマの道は誠に厳しい。欲望が1つでもあると神に届くことはできない。針に糸を通すのに、ケバが1つでもあったらダメだ」

イエスは弟子に対して言う。
「あなた方は旅のために、何も持って行ってはならない.杖も、袋も、パンも、金銭も、下着も二枚は持ってはならない」

サティア・サイババの言葉。
「ヒマラヤに住む本当の聖者たちは自分の肉体の面倒を見ることができない。面倒を見ているのは神なのです」

「完全な信仰?確かに、それは可能です。信仰が完全ならば、その瞬間に神の恩寵が与えられる。銃声と発砲が同時に起こるのと同じです」

「神は、人生を神に捧げ切った者のみを守る」

「代数では未知数としてXという記号が使われる。その数が判明すれば、最終的に記号Xは方程式から消えてしまう。それと同じく、神は未知数Xであり、あなた方が発見しなければならない存在なのだ」


イエスは何も所有しなかったが、これは、自分の必要とする物をゼロにすることを学んだ結果、自分の意思が、神の意志に転化されるのを目撃したからだ。有り得ないことが起こったり、不可能なことをし続けるようになったことで、神に到達したと確信したのだ。

パラマハンサ・ヨガナンダの場合も、師匠が「何も持たなければ神は守ってくれる」と言うのを信じて、何も持たずに手ぶらで旅に出たところ、いきなり、ある紳士が近づいてきて大金を渡されたことがあると自著の中に書いていた。

イエスの時代にも、修行に身を投じる者はいたから、彼はその人たちの奇跡を目撃したのだと思う。空海も修験者の誰かと知り合いになり、その力を目にしたのかもしれない。子供は周りの大人の行為から学ぶため、もし、人生の初期に本物の修行者と縁があったら、その人は祝福されている。


クリシュナの奇跡を目にしたパーンドゥの五兄弟は信仰を強化できたが、これは現代のサイババを見ることでも強化されるだろう。空海の時代にも、空海を見ることで信仰を強化した武将たちや衆生は沢山いた。彼らもやはり、聖(ひじり)という者の行為を目撃したのだ。空海が相手に触れることで病が治ったり、困難が取り除かれる様を沢山見たのだ。

パーンドゥの五兄弟は森での生活が13年だったが、この時に五感の欲望を遠ざけることができたから、クリシュナ(アートマン)が五感の御者になり、大勢の悪(心の欲望)を打ち負かすことができた。盲目の父、ドリタラーシュトラから生まれた百人の悪子と、性欲を御したパーンドゥ王から生まれた清浄な五感(五兄弟)。目に見える兵器群を取ったドゥルヨーダナたちと、目に見えないアートマンを取ったパーンドゥの五兄弟。現代でも続く、マーヤー(幻)に支配される者と、されない者の違いが、約5400年前にも存在した。


「阿弥陀仏はその手より無限の宝を出す」と真宗聖典の大無量寿経に書かれているが、これはイエス・キリストもそうだった。籠の中の食べ物を手に取ると、天を見上げて祝福し、それをちぎって5千人に配ったりしていた。サイババも様々な宝石を物質化して帰依者に与えていた。

イエスはヒマラヤで、1人で修行している日々をどうやって生きたのか?多分、物質化自体はヴァシシュタ・アドワイタ(条件付き不二一元論)の状態でも可能なのだ。だから何も持たずにヒマラヤで修行できた。

イエスなどはインドに生まれるに相応しい魂が中東のベツレヘムに生まれた例だった。空海はそのような魂が日本に生まれた例だろう。彼らの生涯を学んでいると、早期に聖典の教えを受け、それに基づいた修行体験を経験しておくことが重要だと分かる。生まれる家も、両親ともに信心深いのがベスト。


菩薩の中でも摩訶薩(偉大な菩薩)と言われる上位の菩薩がいるが、これはカーストについても言えるだろう。現代のマハー・ヴァイシャ(偉大な商人)は沢山の施しをするビル・ゲイツや、役員報酬ゼロで働いた、目覚めた商人、スティーブ・ジョブズがこれに当たる。日本にも孫正義さんがいる。

彼らはインドに生まれるべき魂が、アメリカや日本に生まれた例だったのだ。

「神を得ることができれば、神の目が開く」とサイババは言っていたが、まず視覚、聴覚という障害物があるのだから、霊視などできるワケがない。道は長い。



参考文献

「バガヴァタ・バヒニ」―クリシュナの奇跡― 蝸牛社
サティア・サイババ 著
若林 千鶴子 訳

「サイラムニュースNo153」2013年11・12月号
サティア・サイ出版協会

「バガヴァン シュリ サティア・サイババとの対話」
J・S・ヒスロップ 著
牧野 元三 監訳
サティア サイ オーガニゼーション ジャパン刊

「マハーバーラタ」第二巻 -森の巻- 三一書房
聖仙ヴェーダ ヴィヤーサ 著
山際 素男 翻訳

「あるヨギの自叙伝」 森北出版
パラマハンサ・ヨガナンダ 著

「不滅の言葉」(コタムリト) 中公文庫
田中 嫺玉 著

「真宗聖典」 東本願寺出版部

「新世界訳聖書」 ものみの塔

「呪術の体験」 分離したリアリティー 二見書房
カルロス・カスタネダ 著
真崎 義博 翻訳

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by saiyans | 2015-10-20 13:08 | 人間の霊性についての考察
2015年 07月 16日

日本にもヒンドゥー教寺院が必要


ガネーシャの頭は、シヴァ神が象の首をはねて、勇敢に自分と戦った息子の首に取り付けたそうだが、人間のような眉毛は無いはずだ。目も、象の目だろう。

それと、シヴァとパールヴァティはスリムな肢体なので、まずヴィナーヤカも、腹があんなに出ていることは有り得ない。

多くのヴィナーヤカは、インド人画家の想像によって描かれているのだ。

それと、インドラの乗る象、アイラーヴァタは白いので、天界のシヴァの館にも白い象がいたと思うのだ。シヴァの青白い肌と、白い象の頭が理想だ。

マーヤ夫人は、ブッダを授かる時に、白い象がお腹に入った夢を見たという。

誰かに、スリムなヴィナーヤカ像を作ってもらいたいものだ。


ヒンドゥー教寺院が日本に建設されたらいいのに、と思う。

インドの英字新聞には昔、日本でのサイババブームが紹介されていたそうだから、日本人の期待に応えて、裕福なインドのマハラジャが、寺院の建設費用を寄付してくれると有り難い。

その時は、青山圭秀さんも寺院の建設に協力するかも。
仏教の寺があって、キリスト教の教会もあるのに、ヒンドゥー教寺院が無いのは変だ。

シヴァ・リンガがあれば、それに水やミルクを注いでアビシェカムができ、土星期の厄災も軽減できるし、シヴァとガネーシャなどの神像があれば、その神前にお供え物をして、アルチャナもできる。


インド料理店は普通に増え、日本人の日常に溶け込んでいる。今度はヒンドゥー教寺院が来るとみた。

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by saiyans | 2015-07-16 02:57 | 人間の霊性についての考察
2015年 05月 18日

私の出家未遂記録


私は過去に4度ほど、出家しようとして失敗している。

1度目は2001年11月で、静岡県・熱海の山中に居を構え、じっくり神を実現しようなどと考えていた。父親に買い物に付き合ってもらい、1人用のテント、斧、ミニ・ショベル、スチール鍋などを買い込み、既に持っていた寝袋を持って出かけた。荷物は大きめのバック2つとリュックで重かった。散々修行の地を探し回ったが、藪が多くて山に分け入ることができず、一週間ほどで帰宅した。

その後2003年3月、再び熱海に向かった。この時は山中で自給自足している5人家族を、コント竹田君が紹介しているテレビ番組を見たのがキッカケだった。そのお父さんは29歳頃に自分で家を建ててから19年くらい住み着いているとのことだった。沢の水で生活水を賄い、野菜を自給自足し、山を下りた際には行きつけのパン屋さんでパンの耳をタダでもらい、海岸の岩の上で天日干しして保存食にしたり、海でウニを獲ってその場で食べたりしている光景に憧れた。しかし、自給自足番組のパートⅡを放送した時には、5人家族皆が下山し、娑婆でお父さんは働いていた。おそらくテレビ放送されたことで人々に疑問視されるようになり、下山せざるを得なくなったのだと思う。

この時の私は、「今度こそやってやる」という感じで、気合を入れて2度目の熱海に臨んだが、またまた一週間ほどで、寂しくなって帰宅した。前回は荷物の持ち過ぎで疲れ果てたので、今度は必要最低限の物しか持たずに出掛けたのだが、それでもダメだった。

続いて2003年11月に、今度は高野山に向かった。なぜ11月に家を出たかというと、インドでは11月は“カールッティケーヤの月”と言われていて、旅立ちには縁起がいいとされていたからだ。

極楽橋駅で電車を降りたら徒歩で少し山を下り、沢が流れている岸の草地にテントを張って少し休んだ後、高野山に登った。毎日空海霊廟でお祈りしたり、テント内で聖典を読んだりしていても10日ほどで飽きてしまい、お金も心細くなってきたところでテントを畳み、帰路に就いた。

その後、もう一度高野山にチャレンジしたが、何故かまた寂しくなり、計11日で帰宅。我ながら情けないが、私の限界点は11日なのだった。来年の3月頃にまた1人出家を試みようと思っているが、うまくいくかどうかは分からない。

作家の立松和平さんも「ブッダその人へ」という本の中に書かれていたが、若い頃、土方でアルバイトしてお金を貯め、インドへ1人旅立ったことがあるそうだ。立松さんが持参した文庫本は岩波書店の「ブッダの言葉」1冊だけだった。結局、インドでの長期滞在を途中で諦めて帰国するのだが、出国前に学生結婚していた奥さんがいたため、立松さんは在俗の暮らしに生きざるを得なくなった。

過去、ブッダやイエスの聖典を読んで強烈な出家意識が芽生え、信仰の生活に身を捧げた者は、洋の東西、男女を問わず多くいた。でも、人は過去世でよほど善行を積んでいるか、修行を常習として修めていないと、過去世の常習不足で、娑婆に足が向いてしまう。ブッダやイエスは過去世で相当に善行を積み、修行を修めてきたから、在俗との縁を断ち切れるほどの功徳を貯めることができたのだろう。1度出家したら最後、アートマンを極めるまでは(悟りを開くまでは)2度と故郷の方に足が向かわない。

「一心とは決定心(けつじょうしん)なり、決定心とは度衆生心(どしゅじょうしん、一般衆生を超えた心)なり、度衆生心とは無上上心(これ以上ない心)なり」

かつて神の化身クリシュナが説いた教えを、我が国の親鸞も説いていたのだ。





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by saiyans | 2015-05-18 01:07 | 人間の霊性についての考察
2015年 05月 18日

人間とパソコンのベース・クロックについて


昔、「X68000」というパソコンがあって、CPUの基本周波数(ベース・クロック)が10~16Mhzだった。このパソコンはその名の通り、モトローラ社の16Bit CPU「m68000」を搭載していて、インテル社のi80286と競い合っていた。m68000は医療機器やKORG社のM1というシンセサイザーにも採用されていた。

一時期、この「X68000」にクロックアップ・ブームが起こり、24~33Mhzに高速化するのが流行った。

CPUに基本周波数を提供するクォーツ(人工水晶)は、CPUとは別にセットされていたので、そのクォーツを交換することで高速化できた。

X68000には通常のタワー型とは別に、更にスリム化された「X68000コンパクトXVI(エクシヴィ)」という製品も発売されていた。

この「コンパクトXVI」に搭載されたm68000の16Mhz版とは別に、20Mhzの高速版があり、そこからクロックを引き上げれば、16Mhzからクロックアップするよりも余裕があるので、限界マージンを高く設定できた。

当時、「満開製作所」というX68000専用ショップが高速化改造を請け負っていて、そのマシンには「Red Zone」という名前が付けられていた。背面のトルグ・スイッチ切り替えでクロックを可変させることができた。でも流石にCPUに無理をさせるわけだから、夏場には熱暴走して、修理依頼が多発したそうだ。

この「Red Zone―24Mhz改」よりも高速化した33Mhz機の場合に問題になるのが、CPUのみ高速化したことで、基板上にある周辺装置がついてこれず、動作がおかしくなる、ということだった。

これは人間の場合にも言えると思う。人体内のある部分が高速化され過ぎると、その周辺装置である内蔵諸器官が異常をきたす。

現代医学のベースになっている西洋医学は、肉体のみに注意を向ける唯物論的システムなので、人間の霊性を一切考慮に入れない。そのため人間存在を根底で支えるアートマン(超越意識)や、霊体のシステムである7つのチャクラを想定しない。そのためヒーラーや、サイババのような「人間」が何故、存在するのかを説明できない。

サイババは以前、「私はあなたの周波数に合わせることができる」と言っていたが、このことから見ても、人間には基本周波数というものがあり、さらに又、聖人やアヴァター(神の化身)の周波数といった階梯が存在するのだと分かる。

7つのチャクラは虹の7色と同じで、ある条件下になければ見ることができない。それは「第三の目」と言われる霊眼が開いていないと見ることができない。

霊眼は絶えざる霊性の開発(奉仕や修行)により齎される果実なので、やはり物理学を修めるのに「物の理」を根底から理解しようと努めるように、「霊の理」を理解し、奉仕や瞑想などの霊的修行によって自己探求を試みなければ、得られないものだろう。

でも、人間は自己の霊的システムであるチャクラの異常を、様々な病理現象として二次的に体験し、観察してきている。「病気」という形で、実は体験してきたのだ。

一次的に体験できるのは霊的システムを想定できる人たちだけで、大抵の人は二次的に、肉体の身体異常として間接的に体験(認知)することになる。

先程の、パソコンに於ける基本周波数のように、人間が有する7つのチャクラ・システムには、その1輪1輪に基本周波数があるのだと思う。それよりも1上がっても1下がっても異常をきたす基本周波数が。

人間は基本的な欲求として神への信仰心を持っている。戦後、社会主義的な物の見方が流行ったため、すっかり物質性に心を奪われてしまったが、人間の基本的欲求には、霊性を求める本能が確実にある。

様々な病の根源がこの、霊性(愛)の不顕現にあるとすると、やはり様々な病気を跳ね返す根源的力は、神への愛が最上なのだと思う。信仰心がトップに来るのだ。

先述の、「CPUのみ高速化するので、基板上にある周辺装置がついてこれず、動作がおかしくなる」というのも、人間の霊性に置き換えれば、トップ(頭)の信仰心がトップ・スピードで動いているのに、その下のチャクラ・システムがついてこれていないためなのだ。

虹と同じで、チャクラには赤色~紫色まで7つあると言われるが、このチャクラ・システムは個人の道徳性によって周波数が追時刷新される。例えば尾骨にある赤色チャクラの内的意味は「地に足を着けること」なので、高慢になると周波数が下がる。臍の下にある橙色チャクラは性道徳を司るので、女(異性)にだらしないと周波数が下がる。胃のあたりにある黄色チャクラは「個人の力」を象徴するので、他者から自立していないと周波数が下がる。胸の中心にある緑色チャクラは「愛と奉仕」を司るので、日頃から同胞への愛を顕現していないと周波数が下がる。喉に位置する藍色チャクラはコミュニケーションを司るので、相手に無遠慮に振る舞うと周波数が下がる。眉間に位置する群青色チャクラは知性を司るので、普段から善悪の識別を心がけて生きていないと周波数が下がる。トップの紫色チャクラは「信仰・神への愛」が無いと周波数が下がる、というように。

信仰心があるということは、トップとその下の3つだけ高速で振動しており、その下のチャクラがついてこれていない可能性がある。一般の地上的道徳性が、信仰心についてこれないのだ。心が乱れる根本原因はこれなのだと思う。戦後、無神論化が進んだことで罪が放任され、不道徳性が増したためにチャクラ・システムが混乱し、様々な精神病として顕現するようになったのだ。

病院で受ける医療は、枝葉に水をやるのと同じだと思う。魂という根っ子に水をやるには、社会の道徳性の回復と、霊性(愛)の受容・顕現がどうしても必要になるのだ。これがないと、社会問題の根本的解決は期待できないだろう。



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by saiyans | 2015-05-18 01:01 | 人間の霊性についての考察
2015年 05月 16日

仕事と修行の違い


仕事と修行には、観念上の違いがあるだけで、実質、違いは無いと思う。

スポーツに於ける練習は苦行に相当するだろう。

神は苦行を喜ぶ。

最初から修行はできない。苦行だ。

毎日歯を磨くように、苦行が常習化した時、それは修行になる。必要だと思ってやるようになったら、それは修行になる。

マントラ(真言)を唱える時は、どーも一定の回数をカウントした方が効果があるらしいことが分かってきた。

108回マントラを唱えると効果があるが、これも座って唱えるのと、立って唱えるのとでは、立って唱えた方が少し効果が上だ。

また、立って唱えるにしても、片足で立って唱えると更に効果がある。もちろん片足だけでは辛いので、右足と左足を交互に替えて唱える。

108回や、その倍の216回唱えるよりも、48の倍数で唱えた方が効果が大きい気がする。例えばインドでは「48」を「1マンダラ」とするカウントの単位があるそうだが、これを4回で4マンダラ唱えると効果がある。48回×4で192回。

マントラは、インドのサンスクリット語で唱えるのが理想だが、それを日本語訳したものを唱えても効果は同じだった。

苦行も、最初の1回目は効果がある。純粋だからだと思う。2回目以降は1回目ほどの効果が無い。御利益(結果)を期待するようになるからだと思う。

ブラーミン(僧侶)が唱えるマントラに御利益がある理由は、心性の清浄が保たれているためだろう。例えば“初心、忘るべからず”と言うが、この“初心を忘れない”というのが、ことのほか難しいのだ。ブラーミン以外の下位3階級は、初心の継続が困難。

時代的にも現代のカリ・ユガ(末法)では、心性の清浄を維持することが更に難しくなった。テレビ、ラジオ、ネット、雑誌その他無数の悪影響により、心に汚れが幾層にも積もってしまうため、1つ前のユガ期であるドヴァーパラ・ユガに生きたクシャトリヤよりも、現代のクシャトリヤの方が質的に劣るはずだ。おそらく心性の清浄さでは最初のユガ期であるクリタ・ユガのシュードラ(隷民)の方が、カリ・ユガのクシャトリヤよりも上かもしれない。何より、感覚を汚すものが無いというのは、誰もがヒマラヤで生きて往生するようなものだろう。

私たちの上の世代の話を聞いていると、昔は川の水も透き通っていて川底が見えたというから、心の汚れに応じて、水というのは濁るものなのだと思う。戦後的価値観の“表現の自由”を、「不道徳も許される、なんでもアリの自由」と曲解したツケが祟っているのだ。


様々な現世利益を願う在家の信徒たちが、ブラーミンに神々との仲介をお願いする。在家者は様々な仕方で感覚を汚し続けるため、心性の清浄が日々失われてゆく。そのため、自己の力だけでは願望を成就できない。そこでアートマンを維持できているブラーミンの出番が来るのだ。普段から「自制、苦行、清浄、忍耐、廉直、理論知(聖典の探求と熟考)と実践知(瞑想、苦行、施し)、信仰」などを拠り所として自己を修めているため、何回となく祭祀を催しても、偽善や慢心に支配されることが無い。これがブラーミンの行為なのだ。


京都の街が雅なのは、比叡山・延暦寺の修行者たちが日々研鑽に励んでいるためなのだ。真の僧侶がいない街は、美しさを欠いている。

因みにクシャトリヤの本性より生じる行為は、「勇猛、威光、堅固(沈着)敏腕、戦闘に於いて退かぬこと、布施、君主の資質」などから成る。

ヴァイシャ(商人)の本性より生じる行為は、農業と牧畜と商業から成る。シュードラの本性より生じる行為は、上位3階級に仕えることより成る。

シュードラの下には、チャンダーラ(不可触民)というアウト・カーストに属する人々もいる。彼らは同じバスに乗車することさえ許されず、家畜同然の扱いを受けるらしい。シュードラはまだ、上位3階級が用いる道具を磨いたり、住処を清掃したりすることが許される分幾らかマシだが、チャンダーラになると、なにか品物に触れたら、その品物自体が不浄になると考えられているようなのだ。触れるだけで、というよりも、同じ場にいるだけで運が落ちる。

ゴミのポイ捨てや、あらゆる不道徳性は運を落とすが、こうした行為の行き着く先がチャンダーラなのだと思う。日本でも「嘘つきは泥棒の始まり」と言われるが、インドでは「不道徳はチャンダーラの始まり」なのだ。私の唱えるマントラが最初の1回だけ効果があったのは、初心をすぐに忘れるシュードラ気質だからなのだ。あるいはチャンダーラ気質か・・・。


言葉には精妙な波動があり、サンスクリット語を最高峰として、それ意外では、ヘブライ語がサンスクリットに相当するとサイババは言っていた。

チベット語と中国語もサンスクリットと似た波動を持つため、とても神聖な言語なのだが、中国は共産化されて以降、無神論の害悪があって、本来のポテンシャルを存分に発揮できないでいる。東西ドイツは統合されて無神論が崩壊し、ソ連もゴルバチョフの英断で民主化に舵を切り、自国の霊性を取り戻すことができたから、中国もこれに続くべきだろう。

人間は何か1つの事を信じると、ほかは何も見えなくなる。毛沢東の場合、共産主義が時代のトレンドに見えたのだろう。信仰の無い教義など、一過性の狂信に過ぎない、とは思えなかったのだ。もっとも、毛沢東はサティア・サイババの存在など知らなかっただろうから、仕方のないことではある。

過去、中華帝国が栄えてこれたのも、インドの叡智を受け入れて、祭祀を欠かさなかったからだろう。朝鮮や日本は中国よりもインドに遠いので、当然、それらの恵みをいち早く享受できていた中華帝国に二国が額ずくのも当然だったのだ。これは戦後、アメリカの技術を学ぶことで、いち早く近代化に成功し、アジアのリーダーになれた日本と似たパターンだ。中華帝国はインドからサナータナ・ダルマ(永遠の法)を学ぶことで朝鮮と日本をリードし、日本の場合はアメリカから自由と権利の平等、近代的企業精神を学ぶことで、中国と韓国をリードしてきた。

中国のことで残念なのは、「永遠の法」を手放して共産化したために、以前にはあった精神性の深さが薄れてしまったことだ。道教の教えに則って日々を送る人々がいることから、なんとか霊性の伝統が存続したのだなーと思えるが、これは日本の場合も同じで、普段は“神のことなど知らん”という人も、困った時には神社に行って、お祈りしたりしている。共産党員ですらそうだ。つまり、彼らは無自覚的・有神論者なのだ。

マルクスらが無神論を掲げた理由は単に、聖書に出てくる奇跡現象が信じられなかったことと、教会の腐敗が重なることで「神も仏も無い」と絶望し、信仰抜きの社会主義を作っただけだから、もうそろそろ無神論派は信念を撤回する時だろう。




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by saiyans | 2015-05-16 21:18 | 人間の霊性についての考察
2015年 05月 16日

心の動揺を科学する


インドの聖典「バガヴァッド・ギーター」には、アルジュナがクリシュナに対して、自らの心の動揺を吐露する場面がある。

アルジュナが問う。「あなたはヨーガ(神との合一)が平等の境地であると説いたが、クリシュナよ、私はその不動の境地を見い出せない。心が動揺するから。実に心は動揺し、かき乱し、強固である。それは風のように抑制され難いと私は考える」

クリシュナが答える。「勇者よ、確かに心は動揺し、抑制され難い。しかし、それは修行と離欲によって制御できる。自己を制御しない者はヨーガに達し難いと、私は確信する。しかし、制御して自己を支配した者は、適切な方法によって、アートマン(サマーディー)に達することができる」 バガヴァッド・ギーター・第六章・三十三節


私たち一般の大人は、動揺する不安定な心のまま成木になってしまったため、その不安定さに至る過程を経験してきている。「気がついたら不安定になっていた」というのが感想ではあるまいか。つまり、どういうふうに生きれば動揺し不安定になるかを、後で科学できる所にいる。

クリシュナの教えによれば、人間は神(アートマン)を忘れるほど、心は動揺し、不安定になると説明されている。逆に、離欲と神への一点集中により、心はコントロール可能だと説く。

赤子は誰が見ても、心の動揺と不安定さが無い。つまり彼ら赤子は、無自覚でも一点集中と離欲が達成されている。

アルジュナが生きていた時代は、インド宇宙論では「ドヴァーパラ・ユガ」と言われる、人間の徳性が2分の1に減少した、末法直前の時代だった。

人間の徳性がまだ半分生きている時代ですら、心は動揺し、不安定だったのだ。「いわんや現代のカリ・ユガをや」と親鸞上人に突っ込まれそうだ。

ユガ期には4つあり、「完全」という意味の「クリタ」を冠する「クリタ・ユガ」、徳性が4分の1減少する「トレーター・ユガ」、2分の1に減る「ドヴァーパラ・ユガ」、そして不道徳性が4分の3を支配する現代の「カリ・ユガ」がある。

以下は、三一書房刊「マハーバーラタ」第二巻、「森の巻」から、最初のユガ期についての説明。

「クリタ・ユガの頃は、ただ1つの真実の宗教のみが在り、皆が宗教的に完成された生活を送っていた。だから宗教的儀式を行う必要もなかった。それゆえにクリタ(完全)と呼ばれたのだ。物の売買もなく、聖典も無く、生きるためにあくせく働くことも要らず、必要な物は考えただけで手に入った。病も無く、もろもろの感覚も衰えず、悪事、傲慢、偽善、不和、悪意、狡猾、恐怖、惨苦、妬み、貪欲も存在しなかった。全ての生類は梵天ブラフマーにのみ帰一し、習慣も礼儀作法もブラフマーに帰一するためにあり、知識の目的、行為一切がブラフマーに照らし合わして追及された」


インドでは、人間の徳性の減少が災いを齎し、自然界の法則を人間が犯そうとする時、その時代の人々に正しい生き方を示すため、神が化身して来るという言い伝えが残されていた。トレーター・ユガにはラーマが化身し、ドヴァーパラ・ユガにはクリシュナが化身した。そして現代のカリ・ユガには、三代に亘って化身すると予言書に示された通り、シルディ・サイババとサティア・サイババが化身して来た。もう1人のアヴァターはプレマ・サイババとして、あと数年後に化身して来ると言われる。


クリシュナは言う。「実にダルマ(道徳)が衰え、アダルマ(不道徳)が栄える時、私は自身を現すのである。善人を救うため、悪人を滅ぼすため、美徳を確立するために、私はユガ(世紀)ごとに出現する」

言わば、現代に生まれた者は、心が動揺し、不安定であることが定めなのだ。ダルマがすごく衰えた時代に生まれてきたから。

通常、心というのは規則性、法則性の上に立脚していれば揺らぐことはないはずだ。秩序性の上に立脚していれば。この秩序性が歪んでいるために心は不安定になり、常に落ち着かないのだ。根本原因は神への不信心から来る、道徳性の欠如によるものだろう。

尖閣諸島問題での中国人たちの狂いぶりを見れば、無神論の恐ろしさが、どれほどのものかが分かる。神という、目に見えない存在が常に自分を見ていて、行為に応じた、しかるべき応報を与えるという確信が無ければ、人間生活など営めないのだ。

五感の内の2つ、特に視覚、聴覚を支配することが、人間が現状を打破する際に肝心要なことだろう。良いものを見て、良いことを聞く。これがカリ・ユガをこれ以上進行させないために、皆が守るべき戒律だと思う。

人間は目という入力器官によって映像を捉え、耳によって音声を捉える。そして脳がそれを記憶する。

悪い印象はトラウマとなり、良い印象は秩序性と合致するため、心に平安を齎す。従って良い印象を取り込むほど心は安定し、悪い印象を取り込むほど不安定になる。

人間には自由意志があるため、どちらを取るかは本人の自由だが、道徳性を厳守すれば退院(解放)が待っており、不道徳性の罠に落ち込めば、未来の何処かで入院(束縛)が待っている、ということだと思う。 

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by saiyans | 2015-05-16 21:12 | 人間の霊性についての考察