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ラーマの日記

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カテゴリ:人間の霊性についての考察( 39 )


2019年 05月 07日

ガネーシャ・マントラの効果的な唱え方


マントラやジャパは、ただ唱えるよりも、ちょっとした工夫を加えることで効果を増す。


最近、ガネーシャ・マントラを432回(108 × 4)唱えてみて、全然効果が無かったのでがっかりしていたのだが、失敗の原因は「北向きで唱えていたから」と分かった。

成功する時は、東、西、南のいずれかを向いて唱えていた。それと、帽子を頭から取って唱えている。被ったままで唱えると効果が無いのだ。

片足で立ったまま216回唱えた時も大きな効果があった。例えばブログのアクセス数が突然、いつもの5倍以上になったり、ツイッターのインプレッションが数万人に膨れ上がったりするので効果を実感できる。

ガネーシャ・マントラは1回で唱える行数が多いので、右足の片足立ちで108回、左で108回の計216回が良い。

324回(108 × 3)もやってみたが、効果無し。108回と216回のいずれかしか効果が無かった。


この108回と216回では効果が違っていて、108回はちょっとした厄払いをしたい時に使い、216回は内面の平安も得たい時に使う。216回唱えると次の日の朝に、妙に心が穏やかに静まり、その効果が半日ほど続くという結果になった。でも、唱えるのが億劫なので、普段は108回がメインだ。

この数字についてサイババは以前、深野一幸さんの著書の中で説明していた。

「人間は、1時間あたり900回の割で呼吸している。1日に21600回、この半分は10800回である。だから、216と108は深い意味のある数字なのである。人は息を吸いながらソー(神)と言い、息を吐きながらハム(私)という」


右肩か左肩を壁に付けて、寄りかかりながら、片足立ちで、さらに踵を上げて、天を向いて唱えるとやはり、困難を凌げる。神社でならもっと効果的だ。でもこの踵上げ技は「オーン・ナマ・シヴァーヤ」のような、短いマントラやジャパでのみ実行できる。ガネーシャ・マントラは長いので、25回唱えただけでも足がもたなくなる。

ローソクを灯して唱えた後も、ちょっと普段では有り得ないことが起こるので、お勧めできる。


人間は一人一人、それぞれの霊性の段階が違うため、誰でも効果が同じということはない。

五戒・十善を保つ天皇陛下のような方が唱えれば国家の運を上げるほどの効果を得られるが、五逆・十悪の過去世があったりするとまず、願いは天に届かないはずだ。


クリスチャンがイエス・キリストを仲介者として、神に願いを届けてもらうように、私たち凡夫はアンマのような聖者にお願いすることで、神に願いを聞いてもらえる。

私たちがボールに願い事を書いて投げると、イエス・キリストがそれを中間で受け取って、純粋な願いなら、それを神に投げてくれる。神はそれを読んで直接私たちに投げ返してくれる、というようなイメージだ。

聖者と言われる存在は、霊的に高度に進化しているため、私たち凡夫の願いを神に仲介する者としての役割も果たす。

彼らはマントラや聖典の類を必要とせず、自分の意思が直接、神の意志に転換されるという、得難い境涯に住しているのだ。

因みに、月の初めの神社への参拝も効果がある。





参考資料


「アガスティアの葉」 幻冬舎文庫
青山 圭秀 著

「サンカルパ」 三五館
青山 圭秀 著

「愛と復讐の大地」 三五館
青山 圭秀 著

「バガヴァン シュリ サティア サイババとの対話」
サティア サイ オーガニゼーション ジャパン刊
J・S・ヒスロップ 著 牧野 元三 監訳

「アガスティアの葉とサイババの奇蹟」 徳間書店
深野 一幸 著

「真宗聖典」 東本願寺出版部

「呪術の体験」 分離したリアリティー 二見書房
カルロス・カスタネダ 著 真崎 義博 翻訳

「空海コレクション1」 ちくま学芸文庫
空海 著 宮坂 宥勝 監修 頼富 本宏 翻訳

「弘法大師 空海全集」 筑摩書房
空海 著 弘法大師 空海全集編輯委員会

「新世界訳 聖書」 ものみの塔

「五戒・布施~誰でもできる幸せになれる方法」

「ヒマラヤ聖者の生活探究」 霞ケ関書房
ベアード.T.スポールディング 著 仲里 誠吉 翻訳



by saiyans | 2019-05-07 14:30 | 人間の霊性についての考察
2019年 03月 07日

マントラとツイッターの共時性


いつも「ガネーシャ・マントラ」を108回唱える時に、数を数え間違えてやり直し、というのが続いたので、100円ショップでバード・カウンターを買ってきた。

いつもは108回唱えて疲れ切るのだが、カウンターの性能を試すために、もう1クール、計216回唱えることになってしまった。


驚いたのは帰宅後。この時点でツイッターでフォローしてくれてる方々は298人ほどで、前日とほぼ変わらなかったのが、急にアラブ諸国からフォローしてくれる方々が殺到したのだ。

初めは、「今日は多いな・・・」と不思議に思っていたが、どーも勢いが止まらないので、「こりゃマントラを多く唱えたのが効いたな」と気づきはじめた。

いつもは1日あたり多くても5人くらいで、フォローされない日はざらなのに、一気に千人を超えてしまった。

最近、なぜかトルコの方々もフォローしてくれるので、妙な感じがしていたのだが、昔トルコの大型船が日本の領海内で難破した時に、漂着した所の日本人がものすごく優しくしてくれたことで、大変な恩義をトルコ人たちは持つようになったそうなのだ。

母国の教科書にもエルトゥールル号の物語は記述されていて、小さい頃から「日本人はいい人たちだ。大事にしないといけない」みたいに教わるらしい。

一昔前、イラン・イラク戦争の時に、日本人が出国できなくなった時、各国のジャンボ機が自国の国民を乗せて帰ってしまったところを、トルコだけは、「誰か行けるか?」という上司の問い掛けに、なんとその場にいたパイロット全員が手を挙げたという。この人たちがいなかったら、日本人は帰国できたかどうか分からない。

アラブやトルコの方々は、フォローするとなんか・・・、親戚一同までフォローする文化があるらしく?、すごいペースで、翌日までフォローが続いた。


現在アメリカのシリコンバレーなどでインド人の活躍が目覚ましいのは、占星術で詳細に未来を占ってもらい、最善の対策を事前に打てているためだと思う。

彼らは仕事の前にシヴァ神の息子、ガネーシャ神に祈りを捧げて事に臨む。ガネーシャについてはサティア・サイババの説明があるので紹介したい。


「聖典の中に、次のような話があります。人々を罪から解き放つ神であるシヴァ神に、男の子が生まれました。運命のいたずらにより、彼は、自分の父親の顔を見ないうちに、天界にあるシヴァ神の館の門番の仕事を割り当てられました。彼は、ある宗教儀式の行われている期間中には誰も門の中に入れてはいけないと厳命されていました。そこにシヴァ神が帰ってきて、中に入ろうとしました。続いて恐ろしい戦いが繰り広げられ、とうとうシヴァ神は、自分の息子の首をはねてしまいました。その子供が自分の父親を知らなかったという無知にもかかわらず、任務を立派に果たしたので、シヴァ神は頭を失った息子の体に、別の頭を付け替えました。彼の新しい頭は、象の首をはねて、その象の頭を取り付けたものでした。その後、彼は、シヴァ神の指揮下にある神の軍隊、すなわち、「ガナス」(Ganas)の総司令官に任命されました。「エーシャ」(Esha)とは司令官という意味です。したがって彼は、「ガネーシャ」(Ganesha)と呼ばれました。現代のインドでは、信心深い人々は、ガネーシャ神を、問題を解決してくださる神、義務を果たす上でのあらゆる障害に立ち向かう神として敬っています」


以下はサンスクリットで唱えられる、ガネーシャ神に捧げるマントラ(真言)とその訳。
「愛と復讐の大地」 三五館 青山 圭秀 著より。


「オーン、ガナーナーム、トヴァー、ガナパティーム、ハヴァーマヒー

カビム、カビーナーム、ウパマシュラヴァスタマム

ジィェスター、ラージャム、ブラフマナーム、ブラフマナス、パタ、アー、ナー

シュリン、ヴァナッティビー、シーダ、サーダナム

ヴァクラチュンダ、マハーカーヤ、スールヤコティー、サマプラヴァ

ニルヴィガナム、クルー、メー、デーヴァ、サルヴァ、カールイェス、サルヴァダー

シッディ、ブッディ、シャクティ、サヒタ

シュリーマン、マハーガナーディパタイェ、ナモ、ナマー

ニルヴィガナム、クルー

オーン、シャーンティ、シャーンティ、シャーンティヒー」


「神々を統治するガネーシャ神に捧げ奉る
崇高で霊智に富む 神々の長よ
あらゆるマントラの神聖なる父よ 神々の導き手よ
我らの敬虔なる祈りを聞き、その神聖なる護り手をもって、我らの間に座したまえ
我らが知識を学ぶことを助けたまえ
曲がった鼻と大きな体躯、千の太陽にも匹敵する光輝
我らのあらゆる勤めと業から困難を除きたまえ
叡智の力、神々を守護する主よ
わたしはあなたの前に額ずき、あらゆる困難からの解放を願い奉る」


「シャーンティ、シャーンティ、シャーンティヒー」と最後に3回唱えるのは、1回目が肉体のシャンティ(平安)2回目が心の平安、3回目が魂の平安を祈るためなのだと、サイババは言っていた。



参考資料
「サイババ イエスを語る」
サティア サイ オーガニゼーション ジャパン刊
サティア・サイババ 述 牧野元三 和訳

「サイババ 神の御業」 中央アート出版社
天上昇 著

「愛と復讐の大地」 三五館
青山 圭秀 著

「世界が愛した日本」
四条たか子 著 井沢元彦 監修

エルトゥールル号遭難事件 ウィキペディア


by saiyans | 2019-03-07 21:46 | 人間の霊性についての考察
2018年 12月 26日

イエス・キリストについての考察


サティア・サイババは1979年のクリスマス講話「愛は神にいたる道」の中で、「イエスは、今から1980年前、12月24日の早朝、午前3時15分に生まれた。その日は日曜日だった」と述べた。


「ヘロデ王は、人口調査をするように命じた。全ての人が、銘々の生まれた村に帰って人数に数えられることを義務づけられた。マリアとヨセフは、ベツレヘムに向かう道を進んでいた。マリアは身ごもっていた。陣痛が始まった。彼らは近くに知った人が居なかったので、とある牛小屋に宿をとった。ヨセフは、牛と牛のあいだに場所を作った。時は真夜中だった。彼は、誰か手を貸してくれる女の人を探しに出かけた。その時、赤ん坊の泣き声が聞こえた。キリストが生まれたのだ。明るく巨大なオーラが、天空を光で満たした。これは、キリストが邪悪と無知に打ち勝ったというしるしであった。至高の愛の光が地上に降りて来たのだ。それは神の導きの時代の夜明けだった。イエス・キリストの誕生日を祝うためには、イエスが私たちの霊的進歩のために示した、簡単で実際的な教えに従わなければならない。彼の示した勇敢な手本を見習いなさい。彼が体験したように、神を体験しなさい」 


午前3時15分と言えばブラフマ・ムフールタ(午前3時~午前6時までの神聖な時間帯)だ。やはり予言者の魂は吉祥の時間を選んで生まれてくるのかもしれない。


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ブッダの場合も、母のマーヤ夫人が外出先のルンビニー園で産気づき、野外で生まれているが、聖徳太子も馬宿の前で生まれている。この不思議な一致性は、在俗者と彼ら聖人の違いを表しているのかもしれない。「この世に私の家は無く、家にまつわる欲望を超越して生まれてきた」と、暗に告げているようだ。


それ以外にもサイババは、イエスについての貴重な話を述べていた。

「ヨセフは神聖である神は1つであると信じていたので、生まれた子の名前を『イエス』と名づけた。この『イエス』という言葉の意味は何だろう? 『イエ』は “1つ”。 『ス』は “神聖である” ということを表している。つまり、『イエス』という名前の意味は『神聖である神は1つである』ということになる」

「イエスの母マリアは熱心な神の帰依者だった。マリアはイエスに、いつも神のことを考え続けるようにと教えていた」


イエスが生まれた時、3人の王が東方から訪れ、それぞれが赤子について違う意見を述べたという。「東方から訪れた」ということは、インドから来た王様だった可能性が高い。

インドには「アガスティアの予言」が存在することからしても、予言者が当時もインドに生きており、その聖者が王たちに「もうすぐ生まれる」と教えたのだろう。それで王様3人は長旅をしてエルサレムまで行き、赤子を実見してきたのだ。


「イエスは幼少時代に父を亡くし、『母親は神である。そして父親も神である』ということを完全に悟った上で、母親に仕え始めた。両親に仕えるということは最も理想的なことだ。身体、血液、食べ物、これらは全て両親からの贈り物であり、あなた方は両親に感謝の意を表さなければならない」

※アニメ「フランダースの犬」では、ネロが幼少期からおじいさんの牛乳運びを手伝っていたので、イエスも本当に幼い頃から孝行していたのだ。


「イエスは当時の習慣で婚約を取り決めるべき年齢が来た時、それを回避して隊商と共に東方へと旅に出た。イエスは16歳の時、インドへ行った。母のマリアは、イエスの旅費を作るため、家の財産を売り払った。しかしイエスは旅行中無一文で通し、1日1度しか食事をしないこともよくあった。彼は今日のインドでも見られる型の質素なドーティ(布を腰に巻きつけてズボンのように着るインド人の衣服)を身に着けていた」


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「イエスは最初から純粋で私心のない、いつも愛に溢れた人だった。彼は自分のことを計算に入れず、自らの全ての行いを世の中のために捧げた。その生涯の初めのうちに、彼は『私は神の使いである。私はすべての神の子に仕えるために来たのである』と皆に告げた」

「その後イエスは一人になって神の本質を深く黙想するために、この世俗の世を離れた。彼は12年の間、自らの内なる神に完全に没入していた。脇目も振らない集中力の深さは、彼をより一層神に近づけた。その神聖な意識の力によって、イエスは神にますます接近していき、ついに自分自身が神の子(条件付き不二一元の状態)であるという認識に達した」

「一層熱心に神を求めて、彼はヒマラヤ山脈の、人の住んでいない地域へと聖地巡礼の旅をして、さらに深く、間断なく神の愛に没入した。彼はこの修行を5年間続けた。山での隠遁期間中に、彼は数々の徹底したサーダナ(霊的修行)を行った。彼は彼自身の根本的性質が、父なる神の、全てを包括する愛であることに気が付いた。彼は『私と天なる父とは一体である』と宣言した。(神実現、不二一元に到達した) 彼が全能の神と同じであることを完全に認識したのは、インドに滞在していた間の出来事だった」


「神との聖なる一体意識を獲得し、自らが精霊(アートマン)と一体であって不可分の存在であると気が付いた後で、彼は西方の国々に向けて帰って行った。彼はその時までの17年間をほとんど一人だけの状態で過ごした。彼が他の人々の手本として行動し、彼らに魂の救いをもたらす道を示すべき時が来たのだ」


「彼は自分だけが神の使いであるのではないと教えた。私たち全てが神の使いなのであり、人類の歴史に聖なる足跡を残すために地上に送られてきたのだ。イエスの時代の悪人たちは、彼を苦しめ始めた。彼らは向う見ずにも、神実現に至った人間を事実そのように扱ったのだ」


イエスは16歳の誕生日から、東方に向かう隊商と共にインドに旅立った・・・。

16歳ということは高校1年生くらいなので、大人の骨仕事を手伝って、アルバイトしたりできる年齢だ。イエスは大工の父親の仕事を手伝い、働いていたので、隊商を手伝うこともできた。

長旅の中、「1日1食しか食べないこともあった」そうだが、これは断食の実践に当たるので賢明。

神の子の段階に到達すると、食べ物も物質化できるようになるため、ヒマラヤでも1人で修業が可能になる。ヒマラヤに住む本当の聖者たちは、いつも裸で過ごしていたりするから、ヨーガ(神との合一)が高度になると、体温調整までも、自己の支配下に置けるようになるのだろう。

おそらくイエスは、「仕事を手伝うので、インドまで連れて行ってください」と隊商の人たちにお願いして、一緒に連れて行ってもらったのだ。

玄奘三蔵もかつて、イエスのように天竺(インド)を目指した。“永遠の法”(サナータナ・ダルマ)がそこにはあると伝えられてきたためだ。法(ダルマ)を求めて入印する人物はとても稀で、1時代、1国に1人いるかどうか。命懸けで、本気で求める人はそれくらい稀なのだ。

玄奘は16年かけて膨大な仏典を持ち帰ったが、イエスの場合は神と合一して帰国したために、何も持ち帰る必要が無かった。神を実現することで全知に到達し、一切を知ったからだ。


イエスが大工の倅として生まれたのは、霊性の進化というのを視覚化して実体験する目的があったからだろう。

イエスは父親の手伝いをしながら、こんなことを思ったかもしれない。

「家を建てるのは大変なことなのだなー…。お父さんはこんな大変な仕事をしているんだ。モーセのように神と1つになるには、きっと家を建てるくらい綿密に計画を立て、土台からコツコツと作らなければ失敗するに違いない。私も若い今が人生の土台になる。なるべく早くに修行に入らねば、神を実現することは不可能だろう…」 このように思っていたはずだ。


以下は、林 陽さんのレポートと、大橋信史さんの本からの抜粋。


「8年間インドのカシミール地方に滞在したシカゴ大学・神学部のゲール博士はその地に残る「ヴァビーシャ・マハープラーナ」(イエスについてサンスクリット語で書かれた聖典)という2世紀頃に成立したヒンドゥー教の古い聖典に、こんな記述を発見したという。」

「自らを『イシュワラ・プラタム、イシャ・マシー、カニシャ・ガルバム』と名乗る、異国からの聖者が王を訪ねてきた・・・」

「博士がこのサンスクリットの自称を翻訳したところ、「神の子(イシュワラ・プラタム)メシア・イエス(イシャ・マシー)処女から生まれた(カニシャ・ガルバム)」となった。つまり、イエス・キリストなる男がインドに渡来したと長く語り継がれてきた事実を発見したのだ。」(ここまでの文・林 陽)


それによると、イエスは母マリアとトマスと共に、ダマスカスに暫く滞在した後、北部ペルシアを横切って長旅をし、多くの人々に教えを説き改宗させ、「レプラ(ハンセン病)治療者」と言われた、と述べている。(この文から以下・大橋信史)

シャレハン王は、白衣の青白い顔の予言者(イエス)の姿に大変感銘を受けたという。

王に尋ねられた時、イエスは、「インダス河の遥か彼方の国で布教を行い、難儀に遭った」と答えた。イエスは、愛と真理と心の純粋さを説き、救世主(メシア)と呼ばれていた。

イエスは、「自分の使命は宗教を浄化することだ」と言った。王はイエスをいろいろと援助し、彼の教えに従うことを約束した。イエスは寿命の終わり近くには、ダル湖の辺りで地味な生活を送った。

しかし、大勢の人々が教えを聞くためや病気を治してもらおうと、彼の許を訪れたという。高齢になったイエスは弟子のトマスに、自分の務めを継承するように、また自分の死んだ場所には墓を作るよう言い遺したという。

これと同様の記述は、新約聖書の外伝である「トマス行伝」にも記載されており、そのトマスは最後に、チェンナイに行ったという。チェンナイの「トマスの墓」と言われている場所には、現在「聖トマス大聖堂」が建っている。

「カシミール地方のスリナガル、ロザハル聖地に葬られているのはイエスの肉体ですか?」というキリスト教徒の帰依者の質問に、サイババは「そうです」と答え、イエスの墓はインドのスリナガルにあることを明らかにした。
(ここまでの文・大橋信史)


イエスは磔刑によって刑死したのではなく、その後に復活し、インドに向かいながら伝道の旅を続け、老年まで生きた。キリスト教会は13歳から30歳前半までの、イエスの青年期の記録を削除しているとされるが、これで謎が解けた。

当時のイエスは「私の後に、私を遣わした父が自ら来る」ということを教えていたらしいのだが、これは聖書から消されている。ただ、「ヨハネ黙示録十九章」には、サティア・サイババのこととしか思えない記録が出てくるので、天の父であるエホヴァを信ずるキリスト教徒は、サイババの存在を無視できない。


イエス・キリストは歴史上存在しないと主張する学者方は、ラーマクリシュナ、ラマナ・マハリシ、アマチといった全知の聖者たちがその存在を認めるイエスを、今後も否定できるのだろうか?



※出版者様へ
本記事について、権利的にまずかったら直ぐに消しますので、ご一報ください。




参考資料

「新世界訳 聖書」 ものみの塔

「理性のゆらぎ」 三五館
青山 圭秀 著

「アガスティアの葉」 三五館
青山 圭秀 著

「真実のサイババ」 三五館
青山 圭秀 著

「サイババ イエスを語る」 サティア サイ オーガニゼーション ジャパン刊
サティア・サイババ 述 牧野元三 和訳

「教育に関するサティア サイババのメッセージ-人格形成のいしずえ 」
サティア サイ オーガニゼーション ジャパン刊
サティア サイババ 著 牧野 元三 監訳

「サイババ 神の降臨」 中央アート出版社
大橋信史 著

「サイババ 神の御業」 中央アート出版社
天上昇 著

「釈迦の本 ― 永遠の覚者・ブッダの秘められた真実」 学研
NSM ブックスエソテリカ宗教書シリーズ

「ムー」 学研

「あるがままに」― ラマナ マハリシの教え ナチュラルスピリット
デーヴィッド ゴッドマン 原著:編集 福間 巌 翻訳

「インドの光 聖ラーマクリシュナの生涯」 中公文庫
田中 嫺玉 著

「永遠なる叡智 第1巻」― エターナル・ウィズダム(1)
スワミ・ニャーナアムリターナンダ 著、編集
日本マーター・アムリターナンダマイー・センター刊

「フロム アマズ ハート― 聖なる母との対話」
スワミ・アムリタスワルパーナンダ 著
日本マーター・アムリターナンダマイー・センター刊

「知ってるつもり?!」 日本テレビ
三蔵法師 玄奘三蔵
2001年9月2日放送

聖徳太子 ウィキペディア

「紀元前の曜日」

「1年1月1日は、何曜日ですか?」

「1月1日あれこれ」

「西暦」 ウィキペディア

「メディテーション(瞑想)」 ブラフマ・ムフールタ 〔神の刻〕


インド占星術.com

清水俊介氏のインド占星術サイト

ジョーティシュ・サンクチュアリー
清水俊介

インド占星術の広場 ダルシャナ

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by saiyans | 2018-12-26 11:04 | 人間の霊性についての考察
2018年 08月 21日

プージャの原理 考察


ヒマラヤに住むヨギ(ヨーガ行者)や、カーストの頂点にあるブラーミン(僧侶)、プージャーリたちが報酬を受け取らない理由は、基本的にサットヴァ(浄性)が優位な状態で誕生しているということ以外に、何があるだろう?

それは、前世の常習にある。「タパス(苦行)、プージャ(祭祀)、ダーナ(施与)」を、人生を通して継続してきた、魂の歴史があるのだ。

プージャの実行によって魂が浄化され、もはや自分のことは何も願わない、他者の幸福のみ、となった、準備のできた清らかな魂のみが、上位の階級に生まれることができる。

彼らは何も所有していないように見えるが、過去世で膨大な施しを積んできた魂であるため、深い因果のレベルから神に守られている。


ビル・ゲイツやスティーブ・ジョブズなどは、「企業家としての成功」は今世で果たされたため、もはや障害物が無くなり、来世は他者のためにのみ生きることが可能になる。

言わば、彼らですら今世では解脱できないのだ。膨大に積んだ施しなどの功徳も、それを消費し切らなければ、生まれ変わりの因になってしまう。


ではどうするか?

来世で再生したら、功徳の力を他者へのプージャに充てることで消費するのだ。

彼らプージャーリたちは言わば、良いことを過剰に積み過ぎて解脱を妨害されており、それらの功徳を他者の借金(カルマ)の肩代わりに使うことで、「報酬を期待しない行為」を実践し、解脱に至るのだ。

パラマハンサ・ヨガナンダの説く教えによると、お金に執着を持つだけでも、地上に生まれる原因になるということだった。

理由は「天界にはお金は無いので、それを成就するためには、地上に生まれねばなりません」とのこと。また「『タバコを吸いたい』と願っただけでも地上に生まれる」とも述べていた。理由は先ほどと同じだ。


「無所有」というのは、在俗の価値観からすると「貧乏」と同義に思えるが、実は自己への欲望を超越しているがゆえに、何も持たないだけなのだ。彼らこそ真の強者であり、福音を齎す者なのだ。




参考資料

「バガヴァッド・ギーター」 岩波文庫
上村 勝彦 翻訳

「パラマハンサ・ヨガナンダの成功の黄金律」(叡智シリーズ)出版:三雅
パラマハンサ・ヨガナンダ 著

「ムー」 学研


by saiyans | 2018-08-21 10:54 | 人間の霊性についての考察
2017年 10月 04日

「サンカルパ」ってすごい


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青山圭秀さんの著書「サンカルパ」の中に、水が流れる方向による運勢の良し悪しが書いてあったのを思い出した。

「風水」の原型と言われる聖典「スターパティア・ヴェーダ」(建築の科学)に書かれているらしい。


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このほかにも、「土地は四角くなければならない」、「川と平行でなければならない」、「寺院にあまり近過ぎるのも良くない」などが書かれていた。

ウチは、雨水の流れる方向が北から南なので、運が良くないようだ。

近所に、南から北に流れる家があるけど、確かに栄えている。


「古代の叡智は、わしらが現代人が完全に途方に暮れた時に、息を吹き返すんだ」と、ドンファンは言っていたが、妙に納得できるのは、青山さんの書いた一連のノンフィクション本を読み続けてきたためだろう。


霊的なものの見方を現代人が失わないように、時代に応じて生まれてくるのが、青山圭秀さんのような水先案内人なのだと思う。

青山さんは例えば、アーユルヴェーダはシャシクマールさんのネチール家に教わり、インド占星術も本家筋の方に出会えて教わり、予言書も、代々それを受け継いできた家系の方から直接に話を聞き、スターパティア・ヴェーダはその家系のカニパヨール氏からというように、ことごとく本物たちからその分野のエッセンスを享受されている。

やはり第9室の強い木星(アシュタカヴァルガの値は最高点の「8」)が、青山さんを叡智に導くように働いているのだ。

青山さんの予言書には、「過去世の1つで王族に生まれた」とか、「由緒正しいブラーミンの家系に生まれ」などの記述が見られるが、王族だった頃は当然、宮廷にお付きのブラーミンたちに毎月プージャをしてもらっていただろうし、ブラーミンの頃は自分でプージャをするなど、何度も生まれ変わる度に祭祀を催してきたから、ほとんどの惑星が神的な部屋に配座する形で生まれるなどの吉祥に恵まれているのだ。

ブッダやイエス・キリストもそうだと思う。ブッダは釈迦族の王子だったし、イエスはダビデ王の家系に生まれているのは、彼らも過去世で、数え切れないほどのプージャを行ってきたから、生まれた時から心が清浄で、神を実現できるくらいの素質に恵まれて誕生できたのだ。


「スターパティア・ヴェーダ」のカニパヨール氏は、インド各地から招かれて、土地や方角の測定、建物の高さ、外壁のデザインなどをアドバイスしていたようだが、このことはこの分野の本家筋がどれほど少ないかを物語っている。

青山さん自身も、インドにある大型書店をたくさん回ってみたけれど、ほとんど文献らしいものが見当たらないことに驚いたそうだ。

同じインド文化でも、例えばインド占星術学校があり、アーユルヴェーダ学校があっても、 スターパティア・ヴェーダ学校は無いと思う。インド占星術師やアーユルヴェーダ医は沢山いても、スターパティア・ヴェーダ師というのはほとんど稀なのだ。カニパヨール氏自身にも息子がいるそうだが、まったく興味を示さないことに絶望している、というようなことを、青山さんの前で愚痴っていた。

もし日本人の誰かが、カニパヨール氏に弟子入りして、10年の修業の後に帰国、開業すれば、日本中から引っ張りダコになるだろう。土地の選定、運勢が良くなる形の家の建設など、インド直伝の叡智を母国に齎すことになれば。

それこそ、玄奘三蔵が膨大な仏典を中国に持ち帰った時や、空海が真言密教を日本に持ち帰った時くらいの歓迎を受けるはずだ。





参考資料

「サンカルパ」 三五館
青山 圭秀 著

「ドンファン・シリーズ」 二見書房
カルロス・カスタネダ 著 真崎 義博 翻訳

「慈悲・仏陀の教え」 サティア サイ出版協会
サティア・サイババ 著 

「サイババ イエスを語る」 サティア サイ オーガニゼーション ジャパン刊
サティア・サイババ 述 牧野元三 和訳

「ウパニシャッド」
シュリ・サティア・サイ・出版物日本刊行センター
サティア・サイババ 著 若林 千鶴子 翻訳

「釈迦の本 ― 永遠の覚者・ブッダの秘められた真実」 学研
NSM ブックスエソテリカ宗教書シリーズ

「空海の風景〈上, 下〉」 中公文庫
司馬 遼太郎 著

「知ってるつもり?!」 日本テレビ
弘法大師 空海
2000年10月29日放送

「知ってるつもり?!」 日本テレビ
三蔵法師 玄奘三蔵
2001年9月2日放送



by saiyans | 2017-10-04 03:57 | 人間の霊性についての考察
2017年 09月 09日

ギーターは深い


サイババは以前、ヒスロップ博士に、こう語ったことがある。

「恩寵を得るのは難しいことだと思われるかもしれない。しかし、本当はそうではない。そのための手段を知り、それを用いさえすれば、恩寵を確保することほど容易なものはないのです。『ギーター』の中にその手段が与えられている」

「ふーん・・・どこだろう?」と思い探してみると、次のような節に解答が示されていた。


「行為の成就を望む人々は、この世で神々を供養する。実に、人間界に於いては、祭式(プージャ)から生ずる成就は速やかに実現する」 バガヴァッド・ギーター 第四章。

「祭祀と布施と苦行の行為は捨てるべきではない。それは行われるべきである。賢者たちにとって、祭祀と布施と苦行は浄化するものである」 バガヴァッド・ギーター 第十八章。


祭祀とはプージャのことで、施しはサイババの奉仕団体が運営するサティア・サイ中央財団か、アマチへの寄付がベストだろう。苦行は、24時間フルタイムの断食を、月に1度くらいやればいいかも。(私も今年は1回だけやった)。サイババは以前、「神はパートタイムの帰依は認めない」と話していたので、フルタイム断食は浄化力も強いはずだ。というより、俗人ができるフルタイムの苦行なんて、断食くらいしか無いのでは?


「プージャの代金って、もう少し安くできないのかなー」と思ったが、青山圭秀さんの著書「愛と復讐の大地」の中に出てくる「シヴァ神の予言」に、どれだけ手間暇かけてヤジュナが行われるかが記されていたので、納得できた。以下にその箇所を紹介する。


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「パールヴァティはシヴァ神を讃え、祈りを捧げ、愛するこの人のディークシャ・カンダム(償いのための日々の勤行)を明らかにしたいと欲した。それは騙され、失望に沈む息子を、不幸の淵から救い出し、幸福な人生を送らせるためである。シヴァ神はそれに応え、次のように語った。」


「今ここに、わたしは彼のディークシャ・カーンダムを口述する。それは、彼のみならず、そなたをも幸福にし、満足させるためのものである」

「この人の名はマサヒデ・アオヤマであり、ディーパックとしても知られている。これを読むとき、彼は36歳だ。この時期、彼は多大な混乱の中にある。理由もなく、裁判に巻き込まれるだろう。周りの人間が困難を与える。ある人々は彼を妬み、陥れようとしている。彼は騙され、心を悩ませなければならない」

「慈善的な活動においても問題が生ずる。敵対する人々からの妨害、嫉妬。仕事における緊張と心労、重荷と遅延・・・。一連の困難に巻き込まれる。このような邪悪な結果を避けるため、彼は私の長子(ガネーシャ)のヤントラ(護符)に、マントラ(真言)とプージャ(犠牲供養)を捧げる必要がある」

「ナーディ・リーダー(予言を読む者)は、このマントラを毎日108回、朝夕唱えなければならない。果物と花、ギー(バターを精製したもの)、菓子とココナツ、ミルクなどを捧げ、48の4倍の日にち(192日間)、これを行う。その後、彼はこの護符を礼拝し、身につけなければならない。それにより、困難と遅延、重荷は取り除かれるだろう。裁判には勝ち、嫉妬する人々の企てを挫くことができるだろう。心の平安を取り戻すことができるだろう」


アマチが集めたプージャーリたちも、ナーディ・リーダーたちのように誠実な努力をしてくれるだろうから、成就する力が強いことが推察される。


それにしても、「ギーター」を解釈するのは難しい。サイババがヒスロップ博士に話していた「恩寵」とは、プージャのことだと気づくのにさえ、16年もかかった。今後はガネーシャ神へのプージャもお願いして、知性を鋭くしてもらおう。そうすれば、聖典の解釈も速く進み、余計な苦労をせずに済むはずだ。



参考資料

「バガヴァッド・ギーター」 岩波文庫
上村 勝彦 翻訳

「バガヴァン シュリ サティア サイババとの対話」 サティア サイ オーガニゼーション ジャパン刊
J・S・ヒスロップ 著 牧野 元三 監訳

「アガスティアの葉とサイババの奇蹟」 徳間書店
深野 一幸 著

「愛と復讐の大地」 三五館
青山 圭秀 著

「聖母アマチの教え」― ヴェーダの叡智 ― [改題新版] 知玄舎
西田みどり 著

日本MAセンター プージャ



by saiyans | 2017-09-09 03:26 | 人間の霊性についての考察
2017年 05月 21日

すべては「理性のゆらぎ」のお蔭


青山圭秀さんがこの本を記さなかったら、私の人生はどうなっていただろう?と思う時がある。

この本が無ければ、インド占星術も、このブログで紹介していない。神の存在についても、何も思うことがなかったはずだ。アメリカほか、様々な国々でサイババを紹介した本は沢山あるけれど、流麗なタッチで、自然にそれを描いてみせる作家は、青山さん以外に存在しないと、私は思っている。

金星のダシャー期に、畳み掛けるように出版された青山さんの一連の著作は、間違いなく日本国を救ったと思う。第二作 「アガスティアの葉」では、インド占星術について更に突っ込んだ探求が為された。九つの惑星があり、その内の二つ、ラーフとケートゥは、目に見えない霊的な惑星であるらしいことが分かった。

天王星、海王星、冥王星の三星をシヴァ神は予言で語らなかったが、それはその周波数が地球まで及ばず、生命体になんの影響も与えないためなのだろう。


「アガスティアの葉」には次のような場面が出てくる。アガスティアがシヴァ神と交信している最中に、弟子が質問するのだ。


「わが師アガスティアよ、この人のホロスコープを見ると、ラーフ(上昇交点、一般的に良い影響を及ぼさないと言われる)が第七室(結婚、配偶者の部屋)にありますが、これは悪い兆候ではないのでしょうか。過去世での罪による、悪い影響を表しているのではないでしょうか。それなのにこの結婚は、なぜあなたの言われるようなよい結末となるのでしょう。彼は運命の相手に出会うのでしょうか。そこに、なんらかのブロックがかかっているのでは。結婚生活に困難は現れませんか。子供は生まれるのでしょうか。彼が経験するはずのこれらの悪い影響を、師よ、あなたはなぜ無視なさるのですか」

「この質問に対し、尊神シヴァは直接答えた。」

「前世の罪の結果、困難が生ずる。遅延、失敗、発熱、リウマチ・・・。縁組の重荷と迷い、そして出費。だがこれらの悪い影響を減ずるため、私はシャンティとディクシャの章に処方箋を口述する。それを読み、そこに記した処方箋をそのまま実行に移すのは、決して簡単ではないだろう。だが、彼はこの処方箋を正しく実行し、その結果を楽しむことになる。そして、それは全て、同時代に生まれ合わせるわたし(シヴァ神)の化身、サティア・サイの恩寵のゆえだ。それによってフィアンセは愛らしく、いつまでも魅力的であり続けるだろう」


アガスティアの葉を読むナーディ・リーダーの話しによると、インド人の葉が一番多く遺されているが、日本人の葉も沢山出てくるそうだ。ただ、西洋人の葉は非常に少ないという。青山さんの葉は十六の章に分かれているが、おそらくこの形式が本物の特徴だと思う。


青山さんの理性は、その後もゆらぎ続けた。土星期の本厄期に、何年かインドへのビザが取れなくなる困難に直面した時は、キリスト教の聖人を巡る旅を企画し、仲間たちとヨーロッパを回っていた。

それらの経験を元に書かれた著書 「最後の奇跡」も買ったが、やはり青山さんは「神聖ノンフィクション作家」の方が百倍イイと思った。フィクションの要素がちょっとでも入ると、私的には興醒めしてしまうのだ。

それとサイババの言葉が時々入ると、内容がグッと引き締まる。歌で言えば「サビ」のようなものなのだ。神の黄金の言葉は。


結婚している方々は、青山さんの著書を人生の指南書として、子育てほか、万事に臨むのだろう。そしてそこで得た霊的な経験などを我が子に伝え、それがその家の伝統として代々受け継がれていくのだ。

例えば我が子が学校でイジメに遭った時など、そのための処方箋をアドバイスできる。

こう言うだろう。

「登校前に神社でお参りしてきな。12時間だけ守られるから。」

「コンビニのレジ横の募金箱に、自分で稼いだお金の百円玉を入れてみな。12時間だけ守られるから。」

「朝一で学校に行って、イジメてる子の机を雑巾で拭いてみな。イジメが止むかもよ。それでも止まない時は、前世の借金が多いからだから、登校前に公園のベンチも雑巾で拭いてみるといいよ。」など。


もうそろそろ、青山さんの著書で学んだ「青山世代」が、親になり、教職に就き、政府内の空席に着任する頃だ。その人たちは日本のあらゆる問題点に光を投げかけ、世界に誇る国に変えていくことだろう。



参考資料

「理性のゆらぎ」 三五館
青山 圭秀 著

「アガスティアの葉」 三五館
青山 圭秀 著

「アガスティアの葉とサイババの奇蹟」 徳間書店
深野 一幸 著

「最後の奇跡」 幻冬舎
青山 圭秀 著

「バガヴァン シュリ サティア サイババとの対話」 サティア サイ オーガニゼーション ジャパン刊
J・S・ヒスロップ 著 牧野 元三 監訳



by saiyans | 2017-05-21 00:52 | 人間の霊性についての考察
2015年 10月 20日

生まれ変わりからの解放を目指す


現在のカリユガ(末法の世)では、人々の平均寿命は120年ほどとされる。1つ前のドゥヴァーパラユガでは240年。その前のトレーターユガが多分480年。最初のクリタユガでは960年。

黄金の時代であるクリタユガでは宗教や聖典が存在せず、皆が皆、宗教的に完成された生活を送っていたという。物の売買も無く、あくせく働くことも要らず、必要な物は求めただけで手に入った。人間は神そのもののように純粋で、天界と地上の往来も簡単にできていたそうだ。

それがいつの日か、人間の力に限界が見え始め、地上を這い回ることしかできなくなった。人々は欲望に取り憑かれるようになっていき、願いを叶えようと様々な犠牲供養が考案されるようになり、その冒涜的行為によって、当然のように堕落していったと。

道徳的生活は宗教的生活に至るまでの最初のステップなので、道徳を序盤に学び損ねると、天界行きは難しくなる。共産主義者(無神論者)が道徳を嫌うのは、それが宗教的理解に繋がってしまうからだ。このようにして中国は現在の地位にまで堕落したのだ。


不思議だが、インド占星術のダシャー年数も120年なのだ。これはカリユガ専用のマハー・ダシャーであり、ドゥパーパラユガでは240年だったのかもしれない。

将棋でも、初手から終局までの平均手数は120手ぐらいで、巧く指せば長生きできる。序盤で躓くと短手数で終わる。序盤で戦略的に駒を前に進められれば、面白い中盤が待っている。

平均手数120手と、カリユガの平均寿命120年、マハー・ダシャーも120年・・・似ている。

私は詰将棋が苦手だが、これは人生の終盤を早くも暗示している。おそらく大駒を愛し、何もかも捨て切って神の前に立つという理想には届くまい。「王より飛車を可愛がり」というタイプだ。その大駒とは、女と金という雲霧だ。幾転生もそれに執着して生きたために、それらが本物だと思い込んでいるのだ。

欲望に振り回されるようになると、天界と地上の行き来が難しくなるというなら、持ち駒はゼロが理想だが、これには本物の信仰が必要になる。

ラーマクリシュナ・パラマハンサは言う。
「ダルマの道は誠に厳しい。欲望が1つでもあると神に届くことはできない。針に糸を通すのに、ケバが1つでもあったらダメだ」

イエスは弟子に対して言う。
「あなた方は旅のために、何も持って行ってはならない.杖も、袋も、パンも、金銭も、下着も二枚は持ってはならない」

サティア・サイババの言葉。
「ヒマラヤに住む本当の聖者たちは自分の肉体の面倒を見ることができない。面倒を見ているのは神なのです」

「完全な信仰?確かに、それは可能です。信仰が完全ならば、その瞬間に神の恩寵が与えられる。銃声と発砲が同時に起こるのと同じです」

「神は、人生を神に捧げ切った者のみを守る」

「代数では未知数としてXという記号が使われる。その数が判明すれば、最終的に記号Xは方程式から消えてしまう。それと同じく、神は未知数Xであり、あなた方が発見しなければならない存在なのだ」


イエスは何も所有しなかったが、これは、自分の必要とする物をゼロにすることを学んだ結果、自分の意思が、神の意志に転化されるのを目撃したからだ。有り得ないことが起こったり、不可能なことをし続けるようになったことで、神に到達したと確信したのだ。

パラマハンサ・ヨガナンダの場合も、師匠が「何も持たなければ神は守ってくれる」と言うのを信じて、何も持たずに手ぶらで旅に出たところ、いきなり、ある紳士が近づいてきて大金を渡されたことがあると自著の中に書いていた。

イエスの時代にも、修行に身を投じる者はいたから、彼はその人たちの奇跡を目撃したのだと思う。空海も修験者の誰かと知り合いになり、その力を目にしたのかもしれない。子供は周りの大人の行為から学ぶため、もし、人生の初期に本物の修行者と縁があったら、その人は祝福されている。


クリシュナの奇跡を目にしたパーンドゥの五兄弟は信仰を強化できたが、これは現代のサイババを見ることでも強化されるだろう。空海の時代にも、空海を見ることで信仰を強化した武将たちや衆生は沢山いた。彼らもやはり、聖(ひじり)という者の行為を目撃したのだ。空海が相手に触れることで病が治ったり、困難が取り除かれる様を沢山見たのだ。

パーンドゥの五兄弟は森での生活が13年だったが、この時に五感の欲望を遠ざけることができたから、クリシュナ(アートマン)が五感の御者になり、大勢の悪(心の欲望)を打ち負かすことができた。盲目の父、ドリタラーシュトラから生まれた百人の悪子と、性欲を御したパーンドゥ王から生まれた清浄な五感(五兄弟)。目に見える兵器群を取ったドゥルヨーダナたちと、目に見えないアートマンを取ったパーンドゥの五兄弟。現代でも続く、マーヤー(幻)に支配される者と、されない者の違いが、約5400年前にも存在した。


「阿弥陀仏はその手より無限の宝を出す」と真宗聖典の大無量寿経に書かれているが、これはイエス・キリストもそうだった。籠の中の食べ物を手に取ると、天を見上げて祝福し、それをちぎって5千人に配ったりしていた。サイババも様々な宝石を物質化して帰依者に与えていた。

イエスはヒマラヤで、1人で修行している日々をどうやって生きたのか?多分、物質化自体はヴァシシュタ・アドワイタ(条件付き不二一元論)の状態でも可能なのだ。だから何も持たずにヒマラヤで修行できた。

イエスなどはインドに生まれるに相応しい魂が中東のベツレヘムに生まれた例だった。空海はそのような魂が日本に生まれた例だろう。彼らの生涯を学んでいると、早期に聖典の教えを受け、それに基づいた修行体験を経験しておくことが重要だと分かる。生まれる家も、両親ともに信心深いのがベスト。


菩薩の中でも摩訶薩(偉大な菩薩)と言われる上位の菩薩がいるが、これはカーストについても言えるだろう。現代のマハー・ヴァイシャ(偉大な商人)は沢山の施しをするビル・ゲイツや、役員報酬ゼロで働いた、目覚めた商人、スティーブ・ジョブズがこれに当たる。日本にも孫正義さんがいる。

彼らはインドに生まれるべき魂が、アメリカや日本に生まれた例だったのだ。

「神を得ることができれば、神の目が開く」とサイババは言っていたが、まず視覚、聴覚という障害物があるのだから、霊視などできるワケがない。道は長い。



参考文献

「バガヴァタ・バヒニ」―クリシュナの奇跡― 蝸牛社
サティア・サイババ 著
若林 千鶴子 訳

「サイラムニュースNo153」2013年11・12月号
サティア・サイ出版協会

「バガヴァン シュリ サティア・サイババとの対話」
J・S・ヒスロップ 著
牧野 元三 監訳
サティア サイ オーガニゼーション ジャパン刊

「マハーバーラタ」第二巻 -森の巻- 三一書房
聖仙ヴェーダ ヴィヤーサ 著
山際 素男 翻訳

「あるヨギの自叙伝」 森北出版
パラマハンサ・ヨガナンダ 著

「不滅の言葉」(コタムリト) 中公文庫
田中 嫺玉 著

「真宗聖典」 東本願寺出版部

「新世界訳聖書」 ものみの塔

「呪術の体験」 分離したリアリティー 二見書房
カルロス・カスタネダ 著
真崎 義博 翻訳


by saiyans | 2015-10-20 13:08 | 人間の霊性についての考察
2015年 05月 18日

私の出家未遂記録


私は過去に4度ほど、出家しようとして失敗している。

1度目は2001年11月で、静岡県・熱海の山中に居を構え、じっくり神を実現しようなどと考えていた。父親に買い物に付き合ってもらい、1人用のテント、斧、ミニ・ショベル、スチール鍋などを買い込み、既に持っていた寝袋を持って出かけた。荷物は大きめのバック2つとリュックで重かった。散々修行の地を探し回ったが、藪が多くて山に分け入ることができず、一週間ほどで帰宅した。

その後2003年3月、再び熱海に向かった。この時は山中で自給自足している5人家族を、コント竹田君が紹介しているテレビ番組を見たのがキッカケだった。そのお父さんは29歳頃に自分で家を建ててから19年くらい住み着いているとのことだった。沢の水で生活水を賄い、野菜を自給自足し、山を下りた際には行きつけのパン屋さんでパンの耳をタダでもらい、海岸の岩の上で天日干しして保存食にしたり、海でウニを獲ってその場で食べたりしている光景に憧れた。しかし、自給自足番組のパートⅡを放送した時には、5人家族皆が下山し、娑婆でお父さんは働いていた。おそらくテレビ放送されたことで人々に疑問視されるようになり、下山せざるを得なくなったのだと思う。

この時の私は、「今度こそやってやる」という感じで、気合を入れて2度目の熱海に臨んだが、またまた一週間ほどで、寂しくなって帰宅した。前回は荷物の持ち過ぎで疲れ果てたので、今度は必要最低限の物しか持たずに出掛けたのだが、それでもダメだった。

続いて2003年11月に、今度は高野山に向かった。なぜ11月に家を出たかというと、インドでは11月は“カールッティケーヤの月”と言われていて、旅立ちには縁起がいいとされていたからだ。

極楽橋駅で電車を降りたら徒歩で少し山を下り、沢が流れている岸の草地にテントを張って少し休んだ後、高野山に登った。毎日空海霊廟でお祈りしたり、テント内で聖典を読んだりしていても10日ほどで飽きてしまい、お金も心細くなってきたところでテントを畳み、帰路に就いた。

その後、もう一度高野山にチャレンジしたが、何故かまた寂しくなり、計11日で帰宅。我ながら情けないが、私の限界点は11日なのだった。来年の3月頃にまた1人出家を試みようと思っているが、うまくいくかどうかは分からない。

作家の立松和平さんも「ブッダその人へ」という本の中に書かれていたが、若い頃、土方でアルバイトしてお金を貯め、インドへ1人旅立ったことがあるそうだ。立松さんが持参した文庫本は岩波書店の「ブッダの言葉」1冊だけだった。結局、インドでの長期滞在を途中で諦めて帰国するのだが、出国前に学生結婚していた奥さんがいたため、立松さんは在俗の暮らしに生きざるを得なくなった。

過去、ブッダやイエスの聖典を読んで強烈な出家意識が芽生え、信仰の生活に身を捧げた者は、洋の東西、男女を問わず多くいた。でも、人は過去世でよほど善行を積んでいるか、修行を常習として修めていないと、過去世の常習不足で、娑婆に足が向いてしまう。ブッダやイエスは過去世で相当に善行を積み、修行を修めてきたから、在俗との縁を断ち切れるほどの功徳を貯めることができたのだろう。1度出家したら最後、アートマンを極めるまでは(悟りを開くまでは)2度と故郷の方に足が向かわない。

「一心とは決定心(けつじょうしん)なり、決定心とは度衆生心(どしゅじょうしん、一般衆生を超えた心)なり、度衆生心とは無上上心(これ以上ない心)なり」

かつて神の化身クリシュナが説いた教えを、我が国の親鸞も説いていたのだ。






by saiyans | 2015-05-18 01:07 | 人間の霊性についての考察
2015年 05月 18日

人間とパソコンのベース・クロックについて


昔、「X68000」というパソコンがあって、CPUの基本周波数(ベース・クロック)が10~16Mhzだった。このパソコンはその名の通り、モトローラ社の16Bit CPU「m68000」を搭載していて、インテル社のi80286と競い合っていた。m68000は医療機器やKORG社のM1というシンセサイザーにも採用されていた。

一時期、この「X68000」にクロックアップ・ブームが起こり、24~33Mhzに高速化するのが流行った。

CPUに基本周波数を提供するクォーツ(人工水晶)は、CPUとは別にセットされていたので、そのクォーツを交換することで高速化できた。

X68000には通常のタワー型とは別に、更にスリム化された「X68000コンパクトXVI(エクシヴィ)」という製品も発売されていた。

この「コンパクトXVI」に搭載されたm68000の16Mhz版とは別に、20Mhzの高速版があり、そこからクロックを引き上げれば、16Mhzからクロックアップするよりも余裕があるので、限界マージンを高く設定できた。

当時、「満開製作所」というX68000専用ショップが高速化改造を請け負っていて、そのマシンには「Red Zone」という名前が付けられていた。背面のトルグ・スイッチ切り替えでクロックを可変させることができた。でも流石にCPUに無理をさせるわけだから、夏場には熱暴走して、修理依頼が多発したそうだ。

この「Red Zone―24Mhz改」よりも高速化した33Mhz機の場合に問題になるのが、CPUのみ高速化したことで、基板上にある周辺装置がついてこれず、動作がおかしくなる、ということだった。

これは人間の場合にも言えると思う。人体内のある部分が高速化され過ぎると、その周辺装置である内蔵諸器官が異常をきたす。

現代医学のベースになっている西洋医学は、肉体のみに注意を向ける唯物論的システムなので、人間の霊性を一切考慮に入れない。そのため人間存在を根底で支えるアートマン(超越意識)や、霊体のシステムである7つのチャクラを想定しない。そのためヒーラーや、サイババのような「人間」が何故、存在するのかを説明できない。

サイババは以前、「私はあなたの周波数に合わせることができる」と言っていたが、このことから見ても、人間には基本周波数というものがあり、さらに又、聖人やアヴァター(神の化身)の周波数といった階梯が存在するのだと分かる。

7つのチャクラは虹の7色と同じで、ある条件下になければ見ることができない。それは「第三の目」と言われる霊眼が開いていないと見ることができない。

霊眼は絶えざる霊性の開発(奉仕や修行)により齎される果実なので、やはり物理学を修めるのに「物の理」を根底から理解しようと努めるように、「霊の理」を理解し、奉仕や瞑想などの霊的修行によって自己探求を試みなければ、得られないものだろう。

でも、人間は自己の霊的システムであるチャクラの異常を、様々な病理現象として二次的に体験し、観察してきている。「病気」という形で、実は体験してきたのだ。

一次的に体験できるのは霊的システムを想定できる人たちだけで、大抵の人は二次的に、肉体の身体異常として間接的に体験(認知)することになる。

先程の、パソコンに於ける基本周波数のように、人間が有する7つのチャクラ・システムには、その1輪1輪に基本周波数があるのだと思う。それよりも1上がっても1下がっても異常をきたす基本周波数が。

人間は基本的な欲求として神への信仰心を持っている。戦後、社会主義的な物の見方が流行ったため、すっかり物質性に心を奪われてしまったが、人間の基本的欲求には、霊性を求める本能が確実にある。

様々な病の根源がこの、霊性(愛)の不顕現にあるとすると、やはり様々な病気を跳ね返す根源的力は、神への愛が最上なのだと思う。信仰心がトップに来るのだ。

先述の、「CPUのみ高速化するので、基板上にある周辺装置がついてこれず、動作がおかしくなる」というのも、人間の霊性に置き換えれば、トップ(頭)の信仰心がトップ・スピードで動いているのに、その下のチャクラ・システムがついてこれていないためなのだ。

虹と同じで、チャクラには赤色~紫色まで7つあると言われるが、このチャクラ・システムは個人の道徳性によって周波数が追時刷新される。例えば尾骨にある赤色チャクラの内的意味は「地に足を着けること」なので、高慢になると周波数が下がる。臍の下にある橙色チャクラは性道徳を司るので、女(異性)にだらしないと周波数が下がる。胃のあたりにある黄色チャクラは「個人の力」を象徴するので、他者から自立していないと周波数が下がる。胸の中心にある緑色チャクラは「愛と奉仕」を司るので、日頃から同胞への愛を顕現していないと周波数が下がる。喉に位置する藍色チャクラはコミュニケーションを司るので、相手に無遠慮に振る舞うと周波数が下がる。眉間に位置する群青色チャクラは知性を司るので、普段から善悪の識別を心がけて生きていないと周波数が下がる。トップの紫色チャクラは「信仰・神への愛」が無いと周波数が下がる、というように。

信仰心があるということは、トップとその下の3つだけ高速で振動しており、その下のチャクラがついてこれていない可能性がある。一般の地上的道徳性が、信仰心についてこれないのだ。心が乱れる根本原因はこれなのだと思う。戦後、無神論化が進んだことで罪が放任され、不道徳性が増したためにチャクラ・システムが混乱し、様々な精神病として顕現するようになったのだ。

病院で受ける医療は、枝葉に水をやるのと同じだと思う。魂という根っ子に水をやるには、社会の道徳性の回復と、霊性(愛)の受容・顕現がどうしても必要になるのだ。これがないと、社会問題の根本的解決は期待できないだろう。




by saiyans | 2015-05-18 01:01 | 人間の霊性についての考察