ラーマの日記

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2013年 09月 14日

体にエネルギーを取り入れるには?


インド哲学では、肉体の恒常性を維持する霊的システムとして、7つのチャクラ(車輪の意)というエネルギー中枢を想定する。それぞれのチャクラは道徳性(ダルマ)によってコントロールされるように作られており、人間の善悪の識別にも有効だ。なぜなら、特定の感情的(霊的)障害、例えば偏見などをその人が抱え込んだ場合、その部位を流れるプラーナ(気)のエネルギーが制限され、感情や心に負の作用をもたらすからだ。

尾骨に位置する赤色のチャクラは、自慢せず、人をバカにしないなら、勢いよくプラーナが流れる。このチャクラの霊的意味合いは、「地に足をつけること」と言われており、まず人間の道徳観の基本をなすものだ。つまりエゴイストは誰にも愛されないということを教訓として人間に開示する。

下から2番目のオレンジ色のチャクラは性道徳(セクシュアリティー)を司るエネルギー中枢で、異性にだらしなくない人の場合は勢いよくプラーナが流れる。これも一夫一婦制の理解に必要だ。つまり浮気というのは家庭の崩壊をもたらすという教訓を人間に開示する。

下から3番目の黄色いチャクラは個人の力(パーソナル・パワー)を意味する。自分の面倒を自分でみている人はこの中枢をエネルギーが勢いよく駆け抜けていく。逆に人に面倒を見てもらっていると、例えばホースほどのパイプの口径がストローのように細くなり、エネルギーが上に向かって駆け上がろうとするのを停滞させる。つまり、このチャクラは人間の自立を促す。

真ん中(胸の中心)の緑色のチャクラは、その個人の力を社会に還元することで流れる。上の3つと下の3つを結ぶ、愛を意味するチャクラだ。身内にお年玉やお小遣いをあげたり、慈善団体に寄付をしたりなどは、このチャクラの発達を促す。協力、他者への助力などの必要性を人間に教える。

5番目の群青色のチャクラは喉に位置するが、この中枢はコミュニケーションを意味し、言葉や振る舞いで他者を傷つけず、友情を円満に表現していれば問題無い。このチャクラはテレパシーといった霊的力を司るので、下のチャクラよりも精妙で、より高い道徳性を要求する。

額の藍色のチャクラはブッディ(善悪を識別する知性)を意味し、「第三の目」、英語では「サード・アイ」と言われる。常に自分の行為の善悪を見極めて注意深く生きていれば、エネルギーの詰まりは起こらないだろう。

頂上にある7番目の紫色のチャクラは、アートマン(超越意識・神)を認識した者が到達すると言われるが、普段からアートマンの知識に思いを馳せ、神への愛を想っていれば自然に発達する。

自分の心がコントロールできなかったり、心の平安を得るために自分以外の何か他の手段(お酒やタバコなど)を用いねばならない時は、7つあるチャクラ・システムのどこかが詰まっているかもしれないから、それぞれのチャクラを発達させてエネルギーをよく流れるようにすれば治ると思う。

赤ちゃんや初期の段階の子供は、見るからに全チャクラ全開で生きているが、彼らにはあまり欲望も偏見も無く、素直で純粋という特性があるため、プラーナが勢いよく流れるのだろう。

イエスはかつて「あなたがたも子供たちのように純粋でなければ、天の王国に入ることはできない」と言っていたが、これは全チャクラの汚れを洗い流さなければ、精神を霊的に清めなければ、神の元には帰れないということを言ったのだと思う。下の3つのチャクラは地上的な道徳性の涵養により清めることができ、真ん中の緑色チャクラと上の3つのチャクラは、天上的な愛の発達によって浄化されるはずだ。


参考資料

「新世界訳 聖書」 ものみの塔

「バイブレーショナル・メディスン」 日本教文社
リチャード・ガーバー 著
上野 圭一 翻訳 真鍋 太史郎 翻訳


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by saiyans | 2013-09-14 02:10 | 人間の霊性についての考察
2013年 09月 13日

人間の記憶を消すには?


パソコンの機能を見ていて思ったのは、これは人間の脳の機能を比喩的に示した装置ではないか?ということだった。

ROM(リード・オンリー・メモリー)は「強烈に焼き付けられた記憶」に例えられると思う。忘れられない記憶だから、いつまでも潜在意識に残る。ROMは「GALライター」という装置で高電圧をかけてデータをROMメモリーに焼き付けるそうだが、人間の場合は最高に嬉しかった瞬間や、他者に傷つけられた時の事が、いつまでも記憶に残るから、この点がROMと似ている。

RAM(ランダム・アクセス・メモリー)は一時的な記憶だとすると、表層の顕在意識の、ある領域を示していると思う。一時的な記憶だから直ぐに忘れることができる。多分、RAMとは心のことだと思う。だとすれば、深く意識に残る記憶は、魂という、心よりもさらに深い領域にアクセスされてメモリーされるものなのかもしれない。

人間の記憶が死後も地続きで存続するなら、こんなに悲しいことはない。生まれ変わる度に、前世の記憶を携えて生まれてくるとすれば、傷ついていたり、混濁した心を継続した状態で今世に生まれなくてはならないから、転生はただの悲しみの連続にしかならないだろう。

しかし、そこはよくしたもので、神は前世の潜在的記憶は残して、表層意識の記憶は消去してくれるそうなのだ。前世からの続きでは過酷だし、成長できないから。

“前世を忘れていること”これは神の恩寵なのだ。このことは古の賢者たちも述べているから間違いないだろう。サイババは、「人間は過去世の教養を引き継いで生まれているのです」と言っていたが、だからこそ個々の人間には違いがあるのだ。前世で個人が積んだ行為や修養体験がそれぞれに違うために、個人差が生じているのだ。だから人間は、この霊的見地に立った時に、はじめて真の平等とは何かを理解する。結果平等ではなく、機会の平等こそが保障されるべき平等なのであり、その機会を活用して個々人が努力により手に入れた特性こそが、存在の多様性という彩でこの世を輝かせるのだ。

通常、神は努力しない者に恩寵で応えることはしない。働かない者に給料をやることはしない。よく巷で言われる、「悪人が得をして、善人が損をするのを我々は見ている」という表現も、その個人の過去世まで勘案することなく述べられた個人的感想なのだ。

お金持ちは、お金持ちになるに相応しい徳を前世で積んで来ているというのが賢者たちの見解だ。この辺の、人間が時に感じる世の不平等に対する処方箋については、ブッダがたくさん説いている。「過去世で、感覚を清浄に保っている僧団に施しをしている」とか、「公共の井戸を自腹で掘っていたり、川に橋を架けて皆の役に立ってきた過去世がある」などだ。

通常、感覚を清浄に保っていず、修行に専心していない僧団や教団に施しをしても、その施主には何の益も無い。いわゆる「来世こそは私もお金持ち」も期待できない。感覚の喜びに浸って、修行を疎かにしている教団に施したりすると、その施主は教団の罪を助長したことになり、却って大罪になってしまうのだ。「善意で施したのに、死後に待ち受ける応報が極刑」というのでは、あまりにも悲し過ぎる。

この点は、日本政府の罪になると思う。そうした宗教団体を放置して、民衆が騙されるのを黙認しているのなら、これは政府関係者も「後生一大事」になる危険性が高い。今生で善政を施せなかった罪により、来世の運命が過酷になる可能性がある。おそらく、宗教団体からは高額の税収が期待できるために放任しておくのだろうが、短期的な利益を優先するよりも、長期的な視野でものを見るべきだ。これは原発の問題についても言えることだろう。


そこで、似非宗教団体を見極める方法を聞いてもらいたい。まず、本物の宗教者は欲望が無く、女(異性)と金に触れない。お金が寄付されたとしても、それは第三者の財団などが金銭を管理し、様々な慈善活動に善意のお金は使われる。感覚を超えた場所(悟り、解脱)に到達するのが目的なので、家の屋根にTVのアンテナが立っていない。TV・ラジオ・雑誌の類は大抵、感覚を汚すからだ。

私たちの心臓や内臓諸器官は、眠っていても働いている。ということは、脳の記憶も存続することになる。眠りから目覚めても記憶を保持しているということは、「眠り」というのは、死とも仮死状態とも言えないものなのだ。パソコンで言えば「スタンバイ状態」みたいなものだと思う。

これが心(RAM)なら、死ぬことで一旦記憶がリセットされて、来世に於ける前世に当たる今生の記憶は消えるはずだから、今生で一瞬でも、1度でも死にさえすれば、記憶が抹消されて苦しみが消えるはずだが、そんなにうまくはいかない。普通に生きている者が、その生で1度でも死んでしまうと、ある者は一定の期間を置いて、またある者はただちに、次の肉体に転生してしまう。

では人間の記憶を今生の、この肉体を持ったままで抹消することはできないのか?・・・聖賢たちは、アートマン(超越意識・神)を知ることで心を超越し、内面の深い静寂に到達することは可能だと説く。

「睡眠から目覚めても、あなたは同じあなたのままです。しかし、サマーディー(三昧)から目覚めたら、あなたは前と同じあなたではありません」とヴィヴェーカーナンダは言っていた。メキシコのヤキ・インディアンのドンファンも「そこから戻ってきたら、もうお前は、それ以前のお前ではなくなっているだろうよ」と言って、カスタネダにサマーディーの体験を説明していた。

結局、私たちが自分の心を超越するには、アートマンを極めるしかなさそうだ。

約5千400年前に存在した神の化身クリシュナは、アートマンを知る時、人のあらゆる苦しみは終わりを告げると言っていた。

世界の、あらゆる川が海を目指すように、小我(川)である人間の私たちは、大我(海)である神を目指す。

「自らの本源に帰る」・・・これが、あらゆる生命の基本的な本能であり、目的であるという。


参考資料

「X68/040turbo‐A Story of Making “After X68030”」 ソフトバンククリエイティブ
BEEPs 著

「箴言― サイババからのメッセージ」 中央アート出版社
サティア・サイババ 述 天上昇 翻訳 ジャパングループ 翻訳

「サイババ 神の御業」 中央アート出版社
天上昇 著

「バガヴァッド・ギーター」 岩波文庫
村 勝彦 著

「ヴィヴェーカーナンダ講演集」 日本ヴェーダーンタ協会
スワミ・ヴィヴェーカーナンダ 著

「ブッダ 神々との対話―サンユッタ・ニカーヤ1 」 岩波文庫
中村 元 翻訳

「ドンファン・シリーズ」 二見書房
カルロス・カスタネダ 著 真崎 義博 翻訳

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by saiyans | 2013-09-13 17:25 | 人間の霊性についての考察
2013年 09月 08日

輪廻転生についての考察


例えば高校生の魂が小学校1年生の肉体に入ったとする。彼は勉学に於いて他者に負けないだろう。

それと同じで、前世で大学まで行き、ある程度学んだ魂は今生で小・中・高校・大学は楽勝なはずだ。

同様に天界から降りてきた者は、地上の学問など楽勝だろう。彼らはそれらの知識を超えた世界に住していたからだ。

前世で作った借金(トラウマ・罪)がある場合、今生でその返済を済まさないと、そこから解放されないと思う。つまり、病は癒されないと思う。

高校生は小学生より純粋でないのは自明だ。生まれてから今日までに受けた視覚と聴覚のトラウマの量が違うからだ。

一般的には、人間に生まれ変わったばかりの者ほど純粋だと思う。何回も人間の人生経験を繰り返してきた魂は、その傾向性が地上の価値観に汚染されているので、あまり純粋でないと思う。

前世でど田舎に生まれて、感覚を清浄に保てた者も、次の転生で都会に生まれたら汚れると思うが、今はテレビがあるので、どこに生まれても同じかもしれない。

感覚というのは汚そうと思えばいくらでも汚せる。悪いものを見続ければいいし、聞き続ければいい。そうすれば確実に汚れる。汚れると人が寄り付かなくなる。

これは魂の清浄度(周波数)にも言えて、清浄な魂には、その者が何もしなくても人々が寄ってくる。ブッダもイエスもそうだったし、サイババもそうだった。私には人が寄ってこないが、これは魂の罪(不道徳の借金)が大きく、かなり周波数が低くなっているためで、サイババには罪が無いから、皆寄ってくるのだ。

利益を上げている企業や、才能ある者には銀行も投資するが、それらが無い者には投資しない。リターンが無いからだ。同様に前世で善行を積んだ魂にはそれなりの恩寵として相応しい福楽が与えられる。借金の多い魂にはそれに応じた苦しみが与えられる。

もし、その生を純粋に生きて死を迎えられたら、その人は後生(ごしょう)も良くなるだろう。更に善行も弛まず積み続けた者は、上手くいけば解脱するための修行に入れる資格を来世で得られるかもしれない。

「仕事は結果を生む」・・・これはインド特有の考え方・法則というわけではなく宇宙法則なので、誰もその法則から逃れることはできない。聖者以外は。

聖者はそれらカルマの法則を超越しているため、因果の法則の及ばない所にいる。周波数が違う場所にいるのだ。私たちが低周波の場所、低周波の肉体で行為すると、必ずその反動を経験する。つまり高い周波数は低い周波数の影響を受けないのだ。だからサイババやアマチには何も不幸が起こらない。サイババは、「私はあなたの周波数に合わせることができる」と言っていたが、おそらく彼が本来の周波数を発散したら、周りの者はそれに耐えきれずに死んでしまうだろう。

ラーマクリシュナ・パラマハンサが弟子のナレン(ヴィヴェーカーナンダ)に触れた時、ナレンはアドワイタ(不二一元)の境地を垣間見たが、本物の聖者はそうした神の体験を相応しい者に与えることができる。

「全ては1つ」という意識を体験するアドワイタの絶対の境地は、幾転生を経てようやく達成されるそうだが、解脱そのものは死後に達成できる者が10万人に1人くらいはいるとラーマクリシュナ・パラマハンサは言っていた。「あのお方(神)は10万人に1人くらいを解放してくださる」と講話の中で言っていたのだ。

難しいのは、この転生で、生きながらにアドワイタに到達し、神を実現することだ。かつてインド人やインディアン以外で達成できた者は、イエス、空海、イヴァン・リルスキー、荘子、老子など、一握りの者だけだった。多くの者は女と金に負ける。サイババは、アートマンを実現できる条件を「一切の執着、欲望、偏見、憎悪の無い、清らかな知性によってのみ認識される」と言っていた。

女(異性)はなんとなく、40歳を超えると少しずつどうでもよくなってくるような気がするが、年を取ると、お金が無いと不安だから、お金への執着は増すような気がする。

インド人の出家者は今でも托鉢して食べ物を得ているようだが、もしベーシック・インカムのような制度が実現したら、托鉢しなくても食べ物を得られるようになるから、修行がし易くなるかも。

私が思うに、お金持ちは出家するのが難しいと思う。そのお金で感覚の楽しみを死ぬまで享受し続けて一生を終える可能性が高いと思う。やはり修行するには普通よりもちょっと少ないくらいの経済状態が理想なのだと思う。


参考資料

「バガヴァン シュリ サティア サイババとの対話」
J・S・ヒスロップ 著牧野 元三 監訳
サティア サイ オーガニゼーション ジャパン刊

「ウパニシャッド」シュリ・サティア・サイ・出版物日本刊行センター
サティア・サイババ 著 若林 千鶴子 翻訳

「サイババ イエスを語る」 サティア サイ オーガニゼーション ジャパン刊
サティア・サイババ 述 牧野元三 和訳

「ムー」 学研

「インドの光 聖ラーマクリシュナの生涯」 中公文庫
田中 嫺玉 著

「荘子〈1〉」 中公クラシックス 中央公論社
荘子 著 森 三樹三郎 翻訳

「タオ-老子」 ちくま文庫
加島 祥造 著

「三教指帰」中公クラシックスJ16 中央公論社
空海 著 松長 有慶 著 福永 光司 翻訳

「THE 世界遺産」 TBSテレビリラ修道院 イヴァン・リルスキー

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by saiyans | 2013-09-08 15:13 | 人間の霊性についての考察
2013年 09月 01日

「ピカール金属磨き液」で接点復活


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「ピカール金属磨き液」(398円)で接点を復活させると、点かなかった棒電気も点くようになるし、MP3プレーヤーは長時間再生できるようになるし、電気抵抗も軽減されるから、スムーズな電力供給が可能になる。そこで「ピカール金属磨き液」の活用例を紹介したい。


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最初にティッシュを折り畳んでから角切りにしておく。こうすることでティッシュを無駄に消費せずに済む。



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ダイソーで108円のCDクリーニング液も用意。金属磨き液で磨いた後は、ティッシュで乾拭きした後、これをティッシュに染み込ませて拭く。アルコール入りのウェットティッシュで拭いてもOK。



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           小型電灯のコンセント部分を磨く。磨き前。


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             磨き後。



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パソコンのUSB端子や、MP3プレーヤーのUSB端子部は、綿棒の先をラジオペンチで潰して、その先に磨き液をつけて磨く。

※綿棒は、棒の部分が「プラスチック軸」の製品の方が、ラジオペンチで先端を潰し易いのでお勧め。


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緑色でポイントした部分を磨く。ヘッドホン端子メスの穴も、綿棒の先に磨き液をつけたらティッシュで余分な液を吸い取り、中に入れて回しながら磨く。電池を入れる場所の+・-端子も磨く。




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カセットは音声ヘッドとリード用のロッドともう1箇所を磨く。「カセットテープ用ヘッドクリーナー」や「ビデオ用ヘッドクリーナー」でも映像や音声が回復しない時は、「ピカール金属磨き液」で復活させるとよい。



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 電池の+・-も磨いておくと、バッチシ。


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  ヘッドホンのオス端子も磨く。


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電球も上の2個所を磨くと点くようになる。自転車の電気もこの方法で明るく点灯する。


ADSLでネットが繋がらなくなったら、電話線を繋いであるモジュラー・ジャックの端子部(メス)内の金属線4本を、ピカールをつけた綿棒で磨くと、一発で繋がる。




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by saiyans | 2013-09-01 22:04 | 家電のメンテナンス