ラーマの日記

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2013年 12月 23日

芸術から読み解く 本来的な教育の在り方


羽田健太郎さんの代表的な音楽は、TVアニメ「超時空要塞マクロス」と、その映画版である「マクロス・愛覚えていますか」に結晶化され、青木望さんの音楽センスはTVアニメ「銀河鉄道999」とその映画版999に結果した。坪能克裕さんの音楽性は「オーラバトラー・ダンバイン」の世界観に表現され、すぎやまこういちさんの力量は「伝説巨人イデオン」のOP・EDテーマと、そのBGMに於いて発現された。彼らの音楽は皆、オーケストラ編成で作られている点が同じだ。

私は最近、シンセ・サウンドに対する興味が薄れてきた。聴くのはもっぱらオーケストラ風の作品が中心になってきた。

シンセサイザーは人間が作った人工物だが、オーケストラに使われているバイオリンなどは木でできている。人間同様、木も神の直接的な創造物なので、自然な響きがする。

クラシックなどのオーケストラも、現代のPOPSも、12音1オクターブが7つと半の、ピアノに於けるスケール内で表現されている点は変わらない。

碁や将棋もそうだが、打つ(指す)者の感覚次第で万華鏡のように変わっていく。12や7という数字は神聖数と言われていて、普遍的な宇宙法則と合致するから、無限性が保障されているのだろう。カバラ数秘術にもこのことが説明されている。

私たちが学校で読み書きを習い、一定期間それを続けた後に、個々人の文字に違いが現われるように、本来は学校が絵や音楽などの芸術に力を入れていたら、一億総芸術家になっていたことは間違いない。やはり絵や音も1人1人、文字や文章のように個性が否応なく現れるようになるだろう。

問題は公教育の現場が個性の発現を抑止するような体系に押し込まれていることで、そういう意味で大抵の人間は自分の本来性を表現するスペースが文字表現くらいに限定されてしまっている。

現代教育が行きつく先の学歴が自分を表現する代替物になるかと言えば、これはならないだろう。試験や学習の問題自体は、先生たちが作ったものであるがゆえに出来レースであり、その人そのものの表現ではないからだ。確かに数学などは答えに至るまでの過程式にその人の個性が現われ、解法の仕方にオリジナリティーが現われるとしても、第三者に理解されずらいという欠点は残るだろう。詰将棋みたいなものだ。なので、将来的にそれで万人が食べていけるようになる可能性は低いため、個人的にはお勧めできない・・・。

やはり簡単に自分の感覚を形にできるものがいい。簡単に自分の感覚を表現できるようになるまでにかかる時間は、読み書きの習得に要する時間と同程度だとすると、やはり絵や音楽も早いうちに仕込んでおいたほうがいいだろう。

現代は科学的な発明や発想が優先する社会だから、科学の根底をなす数学的思考や物理学的思考が大事なのは分かるが、人間は元々霊性を備えているため、全員をそちら(物理科学系)に行くように訓練する今のやり方は、気違いじみていると感じる。

自然なインスピレーションの下降を素直に表現する際に、最もやり易いのが絵や音だと思うのだ。子供たちがお絵描きと歌に情熱の片鱗を見せることから見ても、素直な表現の発露としては絵や音が最も原初的で、表現し易いのだろうなと思う。

中には絵や音楽が上手なことで天狗になり、友達を失くす子もいるかもしれないが、そこは学習ということで、それも勉強。この辺は5科目の勉強でも変わらないだろう。


「高慢さがある限り、誰をも愛することはできません。
高慢な心やエゴが無い者は、誰からも愛されます」
サティア・サイババの言葉より

高慢さに支配された時には、「エゴが大きい者は孤独になる」という教訓を思い出して、皆に自分の得た知識や技術を分け与えるようになれれば、少しずつ運命も好転してゆき、仲間たちの輪に戻れると思う。 

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by saiyans | 2013-12-23 22:42 | 人間の霊性についての考察
2013年 12月 21日

土星期に役立つ、聖典の力


京都の大谷大学は東本願寺の浄土真宗、真宗大谷派だから、入学時、新入生に「真宗聖典」が渡される。

私と「真宗聖典」の出会いは1999年の9月頃。月・木星・土星が、第9室・霊性の部屋に在中している時だった。サティア・サイババのことを知ったのも丁度同じ年の9月だった。

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この聖典は弟が大谷大学に行っていた関係で、彼が卒業して帰宅した時に本棚にしまった物を、私が「ちょうだい」と言ってもらった。

弟は仏教系の大学に入った割には、霊性について関心が無く、フラメンコ・ギターサークルで覚えたギターばかり弾いていた。

私は霊性については1996年11月に、カルロス・カスタネダの本に出会い、ドンファンの教えに影響されていた。インド占星術では、木星はグル(霊的導師)と言われており、様々な世俗の楽しみや幸運だけでなく、霊性の知識も与える星と言われているから、木星の強い影響が出て「ドンファンの教え」に出会えたのだと思う。私が生まれた時に月がいた部屋である射手座を、木星が通過中だったことが大きいだろう。

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「カルマの法則」などの霊的法則など何も知らない私は、この頃不道徳な生活をしており、それはやがて来る不幸に繋がってゆくのだが、そんなことなど露知らず、日々をふしだらに生きていた。

私が真宗聖典の力に気づきだしたのは、人間関係が悪化の一途を辿りだした頃だった。

人間が土星の影響を受けると、肉体の外周を包む黄金色のオーラは暗くなり、あらゆる人間関係や仕事はうまくいかなくなると、インドの聖者アマチは言っていたが、確かに「土星期」と言われるこの時期は最悪で、周りの人々が次々と自分に敵対するようになっていった。

例えば私と誰かが道で出会うと、その人の顔がサッと曇る。だから、こっちは悪気が無いので当然ショックを受けてしまい、人間不信が加速してしまった。

そんな時だ。真宗聖典の威力に気づいたのは。私はこの聖典を読むのが好きで、1日4ページぐらいのペースで読んでいた。たまたま読まない日があると、その日は他者とうまくコミュニケーションを取れなかったが、読むと彼らの顔が今度はサッと良いほうに変化するので、その効果に面食らっていた。

聖典の力は12時間ほど効くようで、普段私に敵対する人も、その時間だけは静かになった。この12時間というのはダーナ(施し)についても言えて、正しい労働によって得た浄財、例えば1万円を手に入れたら、最初の千円は祭祀に使っても問題の無い「醍醐」なので、その千円を百円十枚にくずし、早朝の5時頃、コンビニのレジ横にある「ユニセフ募金箱」に1枚入れてくるのだ。そうするとピッタリ12時間だけ、不幸が止むのを観察できた。このことは、12時間を過ぎると、いつも敵対的な人間が暴れ出すので分かった。この時期(土星期)には夕方にも募金してくることで、なんとか日々を凌いでいた。10円の「うまい棒」を買ったら、そのついでに募金してくると、店員さんも不振に思わないのでお勧めだ。

実を言うとこの頃は「浄財」という概念自体がまだ形成されて間もないため、家族や親戚にもらった1万円などを闇雲に寄付していた。そうしたお金は自分の骨折りの成果ではないので、募金してもなんの効果も無いのだ。

チベットの僧侶たちは、牛乳を鍋に入れて沸騰させた時に、鍋の表面にできる薄い皮膜を取っておいて後で食べるそうだが、弘法大師・空海によれば、この部分は「醍醐」と呼ばれる1番美味しい部分なのだ。ちなみに醍醐の少し下の部分は「熟蘇」と言うそうだ。家にある牛乳でも作れるので、試しに食べてみると美味しさが分かると思う。

この「醍醐」、実はお金についても言える原理なのだ。通常、誰でも1ヵ月働いて、次の月に給料をもらうが、例えば10万円もらったら、祭祀に使えるお金というのは最初の1万円しかない。醍醐味は最初の、たったの1割だけなのだ。例えば給料袋をもらった後に、最初の1万円で何か買い物をしてしまうと、その下の9万円で醍醐の効果を得られるかといえば、これはもうできない。祭祀用に使う浄財には向かないお金なのだ。2番目の熟蘇からは。残りの9万円は祭祀用には使えなくても、一般の用途に使う分には問題ない。


話を「真宗聖典」に戻すと、数年前、レンタルCDを借りたくても、お金が無かったので、祖母に「真宗聖典」を600円で売ったら、聖典の霊力が消えてしまった。このことは岩波文庫の初期版「法華経」全3巻についても言えて、やはりお金が無い時に、法華経3巻を祖父母に売ったら、霊力が弱ってしまった。

「真宗聖典」の霊力は消えてしまい、「法華経」の霊力は弱った理由は、「真宗聖典」の方は弟にもらった物なので、もともと私の物ではないのを売ってしまったために罰を喰らったのだと思う。一方、「法華経」は私のお金で買ったので、力が弱るくらいで済んだのだと思う。

売る前までは、1冊を通じて全体的に威力のあった「法華経」だが、売った以後は、例えば上・中・下巻と3巻あっても、上巻(第七刷)は「序品 第一」しか霊力が無くなったし、中巻(第四刷)は「法師品 第十」しか霊力が無くなった。下巻だけは最近の版の物で、値段が高く、適切な値段設定でないためか、元々たいした霊力が無かった。出版社が儲けに走ると聖典を汚すという、よい例だろう。

この経験以来、聖典というのは神聖な物なので、売ったりしてはいけない物なのだと分かった。



参考資料

「真宗聖典」 東本願寺出版部

「聖母アマチの教え」― ヴェーダの叡智 ― [改題新版] 知玄舎
西田みどり 著

「空海コレクション1」 ちくま学芸文庫
空海 著 宮坂 宥勝 監修 頼富 本宏 翻訳

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by saiyans | 2013-12-21 01:42 | インド占星術
2013年 12月 11日

心の規則性を回復するには?


心は幾何学的なジオメトリー構造物かもしれない。規則性に支えられた構造物だ。規則とは道徳性だ。道徳性の崩壊と共に心は歪みだす。病から身を守る最善手はダルマ(道徳、本分)に適った生活を営むことだろう。

江本勝さんの本にある水の結晶写真を見て17分後に水道水は甘くなるが、これは目から水本来の幾何学的情報が入力された結果、体内の水に情報が伝わり、規則的構造を取り戻すためだろう。

赤子は完全に均衡が保たれたジオメトリーの中にいる。やがて成長と共に欲望が心を支配するようになり、それによって徐々に規則性の崩壊が進み、心が落ち着かなくなっていく。

肉体を構成する要素の内、水は7割を占めるそうなので、水が濁れば病として顕在化するし、清らかに保てば健康を維持できる。

水道水に含まれるカルキは本来体に良くないので、一切止めるべきものだが、何故か継続されている。これも悪習の1つだ。ミネラルが破壊されれば水本来の甘みも栄養もなくなるので、精神が不均衡になっても当然ではないか・・・。体に取り入れる水の結晶構造が破壊されていれば、肉体を構成する水が均衡を失うのだから、病気になる。

水を口に含んでマズイと感じた時点で、もうアウトなのだ。農薬がマズイ野菜に必要なように、カルキもマズイ水に必要だ。マズイということは結晶構造が崩壊していることを示している。

ミツバチの巣も幾何学的構造に支えられているから強度を保つ。将棋も、なかなか崩れない局面というのは、局面の均衡が保たれている。

羽生善治さんは言っている。

「将棋では、強い形というのは美しい形なのです。そしてその美しさを感じ取れる棋士が強い」

現在、名人・竜王の森内俊之さんは、地に足が着いている。彼らトップ棋士に共通するのは、礼儀をはじめとする道徳性の堅持だ。おそらく道徳性と棋士の強さは比例する。谷川浩司さんしかり、羽生善治さんしかり。渡辺明さんも家庭生活に於いては良き夫であり、良き父だからタイトルも維持でき、勝てるのだと思う。

思い・言葉・行いの3つも、幾何学性を維持・顕現していないと均衡が保てず、日常生活を営めない。

音も、良い音か悪い音かは、オシロスコープで波形を見た時に、幾何学的か、そうでないかで分かれるだろう。

過去のトラウマも心の幾何学性を乱すので、解消しておかないとマズイだろう。問題はどうやって過去の負の印象、記憶を打ち消すかだ。瞑想が役に立つらしいが、私は瞑想が苦手だから、心の中で深く反省したりすることによって負の影響を清めることが難しい。アニメ「フランダースの犬」を見ることによる道徳的エネルギーの流入と、将棋に助けられて、なんとか日々を生きている感じだ。

人と人が対立したり、ケンカする時というのは、両者共に幾何学性の崩壊で、心が葛藤を始めるから不安になるのだ。心の葛藤自体が幾何学性の崩壊を意味する。

心は通常、目に見えないと思われているが、実は波長として常にマイナス、ニュートラル、プラスと、ある周波数を体外に放射しており、だからこそ「あの人は感じイイ」とか、そうでないとかが分かり、直感されるのだ。

現代人は普段気に留めないが、土星や火星、ケートゥやラーフなどの、「裁きの星」が影響を及ぼしているというのも一因としてある。土星の影響(降り注ぐ波長)で、人間の外周を包むオーラの幾何学的パターンが乱され、均衡を失う時、様々な悶着や困難が現われ出す。

今後は教室内で学ぶ「道徳」ではなく、実践する道徳が国内教育に復活し、放送法の改正によって、テレビの放送内容が徳性に溢れるようになれば、国内問題の大半は解決するだろう。そうすれば、「オレオレ詐欺」も泥棒もいなくなるはずだ。普通は、周りにそういうことを教える人はいないと思うので、テレビ、雑誌、漫画などが主犯格だろう。



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by saiyans | 2013-12-11 20:07 | 人間の霊性についての考察
2013年 12月 09日

「ぼく球」を読んでいて感じたこと


「ぼくの地球を守って」の登場人物であるシオンは、行く先々でトラブルを起こし、数々の不幸に見舞われている。ラズロとキャーも短期間に失った。

インドの聖者アマチは、カルマの返済法について、「可愛がっているペットが死んだり、近親者が事故に遭うという形で返済させられる場合もあります」と言っていた。

シオンは小林輪として生まれた今生でも、田村さんのあばらを折ったり、嘘をついたり、寺の瓦を飛ばしたり、病院のガラスを割ったり、晴彦(秋海棠)をイジメたりしたので、かなりマイナスのカルマをこさえてしまった。

シオンは幼少期から不運に見舞われている。生まれた場所が戦争状態で、食べ物に窮乏し、戦災孤児になった。彼の境遇は、なんとなく「機甲兵器ボトムズ」の主人公キリコ・キュービーと重なる。

孤児院でも友達にからかわれ、学校でもガールフレンドに不誠実に接したのか、ココさんに憎まれている。

月基地でもカルマの報いは彼を追った。比較的良い時期には、皆が用いるコンピュータや機械を修理したりしてカルマの返済ができていたが、後半は土星期を迎えたためなのか、その途端に不幸が連続して起きていた。

リアンが他界し、モクレンをけなしたことで、牢に入れられ、母星が星間戦争で全滅。基地内で発生した病原菌が元で仲間が次々と亡くなっていくのに、秋海棠が注射したワクチンのお蔭で自分だけが感染せず、9年間、最後まで月基地に1人残された。

この時に自分の過去の行為を振り返って、不道徳な行為の報いが返ってきたのだと納得できれば、霊的に進化し、来世の運命も好転したはずだが、秋海棠への恨みは消えなかった。

シオンは学校の勉強がよくできた。そうした能力が与えられた。学校の勉強をよくやった過去世があるのだろう。サーチェス(神通力)も使えた。過去世の1つに、霊的修行を実践した人生があるのだろう。

また、容姿が端麗だった。人の外見を小ばかにしなかった過去世の功徳が返ってきたのだろう。

一時的にだが、富も入ってきていた。人生の前半で苦労した埋め合わせが与えられたのだろう。

「カルマの法則」(仕事は結果を生むという宇宙法則)
を、修道院内にある孤児院で、リアンに教わっていたはずだが、学生時代の生活ではその教えが実生活に活かされていないことからして、うわの空で聞いていたか、まじめに勉強しなかったのであろうことが推察される。

自分が幼少期に被災していた時に、サージャリム(神)は助けてくれなかったというトラウマがあり、このことで神を信じられなかったから、神の教えが書いてあるキサナド(聖書)などは、空虚な作り話と思えたのだろう。

ある種、シオンのような重いカルマを持つ者は、一般の人間と結婚しても浄化が達成されないと思う。モクレンのように比較的カルマの荷が軽く、サットヴァ(浄性)の優位な者でなければ、ラジャス(激性)とタマス(鈍性)が圧倒的なシオンの厚い心の壁は壊せず、神に心を改心させることはできないため、モクレンが選ばれたのだろう。

モクレンとシオンは共にサーチェスを使えたということからするに、過去世で共に修道生活を営んだ同志だったのかもしれない。長年の霊的修行によって神の祝福を得るに相応しく成長し、サーチェスが与えられたのだろう。

今世のアリスを見ても分かるように、覚醒すると季節外れの桜が満開になったりもする。このようなプラスの力、神通力があれば、輪(シオン)の大きなカルマの負債も返済させることができ、彼を浄化できる可能性は高くなる。

まあ、アリスの方は気苦労が絶えないだろうが、これも彼女自身のカルマの返済なのだろう。



参考資料

「ぼくの地球を守って」 白泉社
日渡 早紀 著

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by saiyans | 2013-12-09 15:37 | 人間の霊性についての考察
2013年 12月 08日

アニメ フランダースの犬に見る道徳性


普段日本人は滅多なことでは神社に参拝しない。

何か欲しい物を買ってほしい時にだけ親の元に馳せ参じる子供のように、何らかの欲望の成就を願うとか、条件付きでしか神を頼りにしない。

40歳を過ぎて心が擦り切れてくると、その偉大な効用に気づくようになるのが、アニメ「フランダースの犬」だ。

子供たちは、このアニメを見ても、その効果を感じられないだろう。まだ道徳性が保たれ、心がさほど汚れていないからだ。

「フランダースの犬」を見ることは、私にとって歯磨きと同じだ。

OPテーマの後、イントロの「タタタタ・タッタッ・ターラッタッタッ・トゥルルットゥールットゥットゥー・トゥールットゥットゥッ・トゥールットゥットゥッ・トゥルルー」という音楽から、心が穏やかになるのが分かる。

おじいさん、アロア、ジョルジュとポール、アロアの母のエリーナ、キコリのミシェル、そしてアンドレ。皆素晴らしい人間性が脈打っており、物語を神聖な雰囲気で満たしている。観る者に徳性を教授し、人の人たる道を教える稀有なアニメと言えるのがこの物語だ。

普通は、アニメに信仰の要素が入っていることは少ないが、このアニメにはキリスト教がふんだんに出てくる。実写でこのアニメに唯一比肩するドラマは「一つ屋根の下」くらいだろう。(Ⅱはあまり感動できなかった)日本のドラマは道徳性が無さ過ぎる。これでは「オレオレ詐欺」や様々な犯罪でこの国が内部から崩壊していくのも当たり前だろう。

マハラジャ(王族)の家系は、妊婦の妊娠中には神聖な物語だけを聞かせるのがインドでは常識なのだそうだが、現代の、世界中の妊婦はまず間違いなく不道徳なTVやDVDを見て妊娠期間中を過ごすだろうから、生まれてくる子供もヤバイ状態で生まれてくることになる。そのヤバさはその子が成長すると共にその子のパーソナリティーに表れてくる。

韓流ドラマにも真に良質な物語は多分無いだろう。現代がカリユガと言われる理由がここにある。道徳性の四分の三が失われた、最もヤバい末法の世に生まれる不運は、同時代に生きる者の宿命だろう。

アニメ「フランダースの犬」第一話~第三話は人物紹介的なものだから、1度見たらもう見る必要は感じない。

しかし、第四話でジョルジュとポールという友達に出会うことになる。この2人は、本当の友情とは如何なるものかを、この章以降、示すことになる。

第十二話「おじいさんの壺」はお勧めだ。おじいさんは、思いやりとは何かを私たちに示す。そして自己犠牲の精神も。

第十六話「10サンチームの写生帳」では、正しい富の得方をネロが示す。この第十六話を観て、正しい労働によって富を得ることの大切さを知った日本の子供たちは将来有望だ。このような生き方を範とする子供たちが成長し、行く末は政務に携わるようになれば国家も安泰だ。言わばこの章は、国家の土台となる人間を作るために欠かせない、教育の基礎を提供する。

第十七話「丘の木の下で」では、約束を守ることで得られる喜びを視聴者に教える。

第二十四話「アロアの絵」では、体が弱いために、村の牧草刈りにおじいさんが行けないのを、ネロが代わりに行く。ここでもアロア、ジョルジュ、ポールの友情と思いやりが炸裂する。明らかにこの物語が人類のアセンションに貢献しているのを感じる。

第三十八話「ネロの大きな夢」では、家でネロがジョルジュの絵を描いている時に、この絵がどう見えるか、おじいさんに尋ねる場面があるのだが、この時ネロがどういう思いでジョルジュの絵を描いているのかが示される。観ていて、私もできればこうありたいと思い、それを教えてくれたネロに感謝した。

第三十九話「心をつなぐ2つの旗」と、第四十話「おじいさんの口笛」では、野菜売りの仕事をネロには内緒でおじいさんがするのだが、実はネロにプレゼントを買うために働いていたことが後に明かされる。貧しい中から与えようとする優しさを、おじいさんから学んだ。この章の、ネロとおじいさんの心の交流は、視聴者に深い印象を与えることだろう。

第四十一話「おじいさんの口笛」
ここでは、ネロの思いやりが全開になる。おそらくネロは7歳くらいのはずだが、ちょっと私には真似できないと思う行為が連続して示される。観ていると自分が情けなくて泣けてくるが、観終るともう観たことを忘れ、雑念に支配される。なんとかならんかと思う。

第四十二話「となりに来た人」
ここからは、ネロの土星期の影響が深刻化するような感じだ。ここから仕事が少しずつ減っていくが、ネロは倒れたおじいさんに心配をかけないために、内緒で仕事を探す。なかなか見つからないが、最後に助け舟が出る。

第四十三話「アロアのお手伝い」では、ジョルジュとポール、アロア、パトラッシュの友情炸裂で、観ていてただただ感動。私は甘やかされて育ったため、たとえ「やれ」と言われても、子供時代にこんなふうには仕事ができなかっただろう。子供たちの情操教育にはうってつけの内容だ。泣けた。

第四十四話「おじいさんへのおみやげ」
ネロの愛情にただただ打ちひしがれる私がいる。でも悲劇がネロを襲う。

第四十五話「一人ぼっちのネロ」
悲しみに沈むネロ。しかし、ジョルジュとポールの友情炸裂により生きる勇気を取り戻し、ひたむきに生きる。「フランダースの犬」は朝に再放送されていたはずだが、子供たちが毎朝これを見て学校に登校すれば、イジメなど生じない国だっただろう。大人も子供と一緒に観るだろうから、これによって教訓を得た大人も、人生に前向きになれて、犯罪など生じない国になっていたはずだ。日本のTVドラマは、犯罪者養成講座を無意識的、あるいは自覚的にやっているので、なんとかしないと、国が亡びるだろう。

第四十六話「おじいさんの顔」
ネロに寄り添うパトラッシュが健気で良いなあーと思う章。絵のコンクールに出すテーマを何にするか決めかねるネロだが、おじいさんを描くことに決める。やはり芸術は、愛や思いやりがないと作れないのだなーと思った。

第四十七話「風車小屋の火事」
火事の責任をネロに転嫁するハンスさんの非情さがヤバイが、最後にはネロの真実が分かるので、悲しみも物語の必然的要素なのだろう。視聴者は作者(神)の意図が分からないので混乱するが、最後は、全ては神の計らいの内なのだと納得する。

第四十八話「なくなった仕事」
とうとう7歳の子供と犬1匹は生活の糧を失う。だが、ここで彼がやってくれるのだ。日和見派と思われていた友達のアンドレが、最期にネロを励ます。このことによって、これまでの細かな罪は一気に洗い流される。ネロと視聴者に希望を与えたアンドレには、神の祝福が臨むだろう。愛こそが唯一の、最後の救いだからだ。

第四十九話「描けたよ おじいさん」
ついにネロは精魂込めた絵を描き上げる。この章は割と平安で、希望がある。

第五十一話「2千フランの金貨」
アロアのお父さんである、コゼッツの旦那が大金を落としてしまう。ネロに厳しく当たってきたカルマが顕在化したのかもしれない。

第五十二話「天使たちの絵」
天国に旅立つネロとパトラッシュ。地上での苦しみは、その埋め合わせとして充分な、天界の幸福を与えるだろう。やはり最後は正義が勝つのだなと思った。

ネロに厳しく当たり続け、その後ネロから最大の優しさを受けたコゼッツの旦那は、このことで深く反省し、様々な慈善活動を行うようになると思う。ハンスさんも反省し、その後の人生は改心して生きていくと思う。ネロは彼らを霊的に救ったのだ。これ以上の救いは無いだろう。


参考資料

「フランダースの犬」 バンダイビジュアル
出演 喜多道枝 及川ヒロオ

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by saiyans | 2013-12-08 15:01 | 人間の霊性についての考察
2013年 12月 07日

心が落ち着かない時には、青色のオーラで肉体を包む


「魔界都市 新宿」というアニメビデオに登場するアグニ・ライというグル(霊的導師)は、青いオーラに包まれている。

前々からこの青いオーラを自分の体の外周にイメージすると心が安らぐことは感じていたが、今回何回か試してみて、かなり使える技だということが分かった。

人間の脳内には「松果体」という器官があり、主に光を感知したりする働きがあると言われているが、どうやらコンピュータのクロック・スピードを一定に保つ人工水晶(クリスタル)のような役割も果たしていることが分かってきた。

CPUのクロック周波数は、ベース・クロックを発信する人工水晶の基本周波数を基底として、それの掛け算で高速なスピードを実現しているようだから、これはどう見ても人間の脳に生来備わる基本機能を模倣しているとしか思えない。

人間のエネルギー場(オーラ)の周波数は脳波と連動していて、θ波(シータ波)のようにゆっくりとした周波数の時には、逆にエネルギー場は超高速にシフトするようなのだ。

このことは誰でも経験から分かると思う。人間はリラックスして穏やかな時には普段通りの力が出せるが、緊張している時には思うような力が出せない。

赤ん坊は生まれた時に目を閉じているが、この時はΔ波(デルタ波)の完全な静寂の中に憩っている。

やがて目が開き、視覚が働き始めると、純粋な超越状態が失われてθ波→α波(アルファ波)→β波(ベータ波)と、落ち着かない心に変わっていく。

サイババは、「TV、新聞、雑誌、ラジオなど、一切視聴してはいけない」と言っていたから、純粋なアートマン(超越意識)の状態が失われて獣のようになってしまうことに対する注意を促しているのだと思う。

利己心や偏見は、テレビなどのメディアから、人間の感覚器官である視聴覚を通って流入してくるので、このような微細な印象を取り込む際には、口に入る食べ物に気を使うように、細心の注意が必要なのだ。この辺、日本国内は全く打つ手無しなので、次世代への悪影響は止まることを知らない。個人の自己規律と、清戒を守ることの中に平安を求めるしかない。

人生80年として、折り返しの40歳から死ぬまでに、同じ時間を掛けて自己の心を清められるかどうかは、自己規律の尊守と、欲望の減退に掛かっているだろう。

欲望の減退と共に、純粋性の回復は加速していくはずだが、これは幼児期に回帰していくプロセスと見ていいだろう。もちろん毒を摂り続けていては病状の回復は叶わないように、視聴覚から純粋な印象のみを取り入れ、悪い物は排除する徹底さが要求されるが、普段日本人は聖典などを読まないから、気がついた時には症状が末期的状態になっており、以後、様々な心労で悩むようになるのだ。

こうしたことは戦後、「表現の自由」を曲解して、不道徳もOKと解釈してしまったことに、全ての災いの根がある。サイババはもちろん、ブッダ、イエス、空海などの聖賢たちが、「やってはいけない」ということをやり続けているから、不幸の波は止まず、終わらないのだ。

四国八十八ヵ所を巡るお遍路さんたちは、空海の残した聖典を読んでいるから、自己の浄化のために清戒を保ち、巡礼地を踏破するまで、それらを厳守するだろう。そうしないとあたかも、たった1つの穴からタイヤの中の空気が全て漏れ出てしまうように、全ての巡礼地での苦労が水の泡になるからだ。

実はそれと同じ戒律の尊守が、日々の暮らしの中にも必要とされるのだ。視覚と聴覚を汚すがままにするならば、心は醜く変質していってしまう。そのことに気づくか、気づかないか、それだけなのだ。

なお、心の浄化薬として効果的なのは、アニメ「フランダースの犬」を見ることだ。このアニメは道徳性に貫かれているため、特に子供時代に繰り返し見ておくと、その子は将来、立派な大人に成長するだろう。



参考資料

「魔界都市 〈新宿〉」 ジャパンホームビデオ
出演 堀秀行 鶴ひろみ 小林清志 監督 川尻善昭

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by saiyans | 2013-12-07 22:05 | 人間の霊性についての考察