ラーマの日記

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2015年 06月 09日

オレオレ詐欺防止機能付き電話で犯罪を激減させる


声紋認証機能(指紋認証の声版)を使い、犯罪を事前に食い止める。

家族や身内の声を電話機にサンプリング録音しておき、オレオレ詐欺系の電話が来たら、電話機に内臓してあるコンピュータで声紋認証を行い、判断させる。電話機の声紋認証ボタンを押すと、「ご家族の声ではありません」とか「~さんの声と一致しました」と教えてくれる。

又、声紋認証ボタンを押した時は、自動で相手の声がボイスデータとして電話内にメモリーされ、同時に全国の警察署内のデータバンク・サーバーにボイスデータ参考資料として自動送信される仕組み。その前に日本国民全員と、入国者全員に声のサンプル提供義務を課し、オレオレ詐欺があった時にどのボイスデータと一致するかの照合を行なえるようにしておく。認証判定後もしつこく迫ったり、繰り返し掛けてくるようなら、後でボイスデータ参考資料と合致した時に、刑期を10年以上とする。

刑期中は道徳的価値観についての様々な講義を集中的に受け、同時に自分の長所を見い出し、広く社会に貢献できるように専門分野のボランティア養成員と共に、特殊技能の習得義務を課せられる。

又、パソコンの使い方、インターネットの接続法、ホームページ、ブログでのネットショップ開設法、YouTubeやツイッターを利用した宣伝効果の活用法などを学び、刑務所内で技術を磨いておいて、出所後の生活に備えれば、社会復帰も容易になると思う。


又、出所後に償いとして収入の三割を三年間、被害に遭われた方に振込み続け、滅罪の一助とすれば本人の成長につながると思う。刑期中に各個人のショップをネットに開設しておき、刑務所側に管理してもらって、自分が習得した専門分野のスキルで作った創造物をアップ(出品)しておけば買い手があるかもしれないから、上手く稼げば出所後の資本金になると思う。出所する時、「もう帰ってくるなよ」の言葉と共に、本人に通帳を渡してあげれば喜ぶと思う。

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by saiyans | 2015-06-09 09:09 | 政治・社会問題
2015年 06月 07日

海外の旅行者を日本に多く呼び込むには?


ブッダはブッダガヤで、モーセはシナイ山で、イエスはカイラス山で、空海は室戸岬で、それぞれアートマン(超越意識)に到達している。

アングロサクソン、アイリッシュ系民族は元々、禁欲的なプロテスタント的生き方を好む。セオドア・ルーズベルト大統領も普段の生活では非常に厳格な戒律を己に課して生きていた。

普通、アートマンを実現した者の生まれ故郷や、修行した場所、説法した場所、入滅した場所などは、観光客が絶えず訪れるものだ。日本では高野山の空海の霊廟に外国人が集中して訪れることからするに、彼らが「イエスと同等の霊的偉大さに到達し、尊崇を受けるに値する人物」と認識しているのは、日本に於いては空海ただ一人というのが実情のようだ。

私には、精神性や霊性が無い場所ほど、外国人は訪れる傾向が少ないように見える。彼らは大抵クリスチャン(キリスト教徒)だから、戦後に日本国内の霊性が減少していることに違和感を抱くはずだ。日本が戦後、半赤化されたプロセスは知らなくても、四国や高野山などの一部地域しか訪れようとしないところを見ると、やはり普段、神無しで生きている私たち日本人を憐れんで見ているような気がする。

先の大戦で戦争の必勝を期して祈った神道の神に、負けた途端、一転して背を向けたのが戦後の日本人だったのだ。これは巨人ファンが日本シリーズで阪神に負けた途端、野球そのものを止めるようなものだろう。いわゆる戦争責任を、国家神道の神のせいにした「敗戦トラウマ」と言われる現象だ。この時以来、日本人は神のファンを止めたのだ。でも、少なくとも年に何回かは神社仏閣を訪れたり、困った時には神社で祈る日本人の姿を見ると、完全に捨てているとは言えなそうだ。

外国人は日本の聖地巡礼以外では、日本を旅する時に、自国内では体験できない日本人のホスピタリティー、心使いや思いやりを味わいたくて来日するそうだ。このことからするに、日本は自国のプレゼンスに関して、どうも焦点が合っていないと言わざるを得ない。どうやって観光客を呼び込もうかと思案するなら、まず、諸外国と肩を並べられるような、霊性の復権に努めるのが先なのだ。多くの先進国は、物質文明や科学技術の進歩など、わざわざ日本に来なくても自国内で体験しているから、そのようなものをプレゼンスとしてアピールしても、彼らは振り向いてくれないのだ。

日本人が神社で手を合わせる姿や、ご飯の前の、手を合わせて「いただきます」にこそ、彼らは共感し、日本をリスペクトしてくれるのだ。彼ら外国人は日曜日に教会でお祈りしたり、食事前に、神に祈りを捧げるのが日課だから、これらがあまり行われなくなってしまった日本という国を、ある種の共産主義国家のように見做している可能性もある。 

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by saiyans | 2015-06-07 07:07 | 政治・社会問題
2015年 06月 01日

日本が向かう、次の段階


映画「アバター」のジェームス・キャメロン監督は、自然・地球を投機の対象としか見ない、市場としか見ていない世界経済の動きに危機感を抱いていたのかもしれない。この映画にパーカーという唯物論者が出てくるが、彼を通して今現在の企業のメンタリティーというものを象徴的に表現しようとしたのかもしれない。

日本のアニメ映画「となりのトトロ」も、上映後自然の大切さを認識した人たちが「トトロの森」などを建設計画から守ったりしだしたので、相当にインパクトがあったのだと思う。中国や韓国でも宮崎駿監督作品は有名だが、彼らは作品を観終えた後、「いったい我が国が教える悪魔的な日本と、トトロの日本は、どちらが本当の日本なのだ?」と疑問を抱き、本当の日本を一目見るために来日する人々が多いようだ。

実は中・韓両国にもトトロの力は及んでおり、国内の、環境を無視した開発が進められようとする時、それを食い止めようとする動機付けの力になっていたのが、トトロの憧憬だったようだ。

実際、韓国の都市部を流れる川は、韓国市民の願いが反映されて、自然の生態系を保った形で造られたし、夏は子供たちが裸で遊んでいる。韓国では当時、日本の映像作品の上映は御法度だったそうだが、宮崎作品だけは例外で、新作が発表されると同時にあらゆるメディアが作品情報を報じたそうだ。

「となりのトトロ」と「アバター」は、自然との共生と、神仏に対する信仰の大切さというものを、唯物主義と欲望に支配された私たち現代人に思い起こさせ、覚醒させる目的で制作されたのではないか?「トトロ」の中で、お父さん役だった糸井重里さんのコピー「忘れ物を届けに来ました」は、言い得て妙だったと思う。

日本国は農薬や化学肥料の使用量が世界一だ。(除草剤の使用量も世界一)2位は韓国で、2005年前後までは日本と同じくらい使用量が多かったのだが、2007年頃に木村秋則さんの無農薬リンゴ栽培が国内で紹介されると大変な反響を呼び、国を挙げて自然農法に舵を切ったようだ。お蔭で今では、日本の2分の1ほどの農薬使用量になっている。韓国も農薬と化学肥料の使い過ぎで土地が荒廃してしまい、困っていたそうだが、木村さんが見つかったことで助かったようだ。

木村さんの自然農法は現在、AK–methodとして世界中に紹介されている。木村さん自身も現在、ドイツ、台湾、韓国ほか様々な国々に招かれて農業指導や講演を行っているそうだ。リンゴ、米、きゅうり、ジャガイモ、大根、人参ほか、全て無農薬・無肥料栽培なので、みんな驚くという。最近では日本の桃農家の方も自然栽培を実践し、無農薬桃の収穫に成功したそうだ。農薬が土から抜けるまでには段階があり、まずは3年かけて最悪状態から脱し、少しずつ改善していくようだ。現在はAK–methodが確立しているので、木村さんのように8年~11年も苦しむことはないだろう。まずは土地の何分の1かで試し、収穫できて自信をつけたら面積を広げれば良いと木村さんは言っていた。

アメリカのネイティブ・インディアンの女性は50歳でも難なく出産するそうだが、このことから日本女性の不妊症を考えると、水と食べ物の違いが原因のような気がする。まず、水を塩素消毒すると水分中のミネラルが破壊されるそうだ。優良な水ほどミネラルが多く含まれるので、日本国のやり方は自殺行為だろう。もともとイギリスから塩素消毒は始まったそうだが、そろそろ水の管理方法を見直すべき時だと思う。食べ物に含まれる食品添加物も、鬱病や不妊症の近・遠因になっているはずだ。

抗癌剤の使用についても、医師の方々は全く疑問を持たないようだが、もう一度見直す必要があると思う。現にMRA(マグネティック・レゾナンス・アナライザー)という医療機器を用いて、江本勝さんが癌や鬱症状ほか、様々な病気を完治させているのだから。

MRAは、操作するに相応しい者を選ぶ傾向がある特殊なマシンなので難しいようだ。治療者の江本さんは御著書の中で「例えば患者さんが女性で綺麗な人だった時など、「綺麗な人だな」などと思ったが最後、MRAは効果的な治療効果を発揮しなくなる」というようなことを述べていた。

肉体と心の、素粒子レベルの振動の乱れを調和させる機器であるMRAは、操作するに当たって、治療者個人の道徳性・人格までもが問われる、非常に精妙な医療機器なのだろう。

加速器で素粒子を衝突させた時、観測者によって観測結果が全く違ってしまう理由は、観測者個々人の人格が異なるためではなかろうか?

江本さんが1人の患者さんから受け取る治療費は5千円と、良心的な価格だったし、社長なので、社員たちの面倒を見てきた徳性、父であることの責任から来る、家族の面倒を見てきた徳性、良質な製品を選び、販売してきた実績などの総和が、江本さんとMRAのシンクロ率を高めた理由だと思う。

MRAを使う治療家たちの感想を読んでみると、自分が無心状態か、極力エゴの無い状態でないと結果が芳しくないと言っている。MRAの操作技術は、“医療道”とも言うべき精神修養が要求されるのだと思う。

江本さんが操作するとMRAは最高のパフォーマンスを発揮するようなので、各国に招待されるのが一段落したら、日本国内での治療を再開してもらいたいものだ。MRAを用いて1万5千人もの患者を完治させた人は、世界中で江本さんぐらいだろうから。

日本や韓国には在日、在韓米軍があることからも分かるように、アメリカの半植民地状態だから、政治家も官僚も、アメリカに条件を飲ませられているのだと思う。日本もドイツのように地位協定を戦後少しずつでも改善してくれば、ナメられずに済んだと思うのだが、自民党はそれをしてこなかったから仕方ないだろう。

田中角栄さんなどは、中国と国交正常化したりしてアメリカへの依存度を減らし、日本の主体性を取り戻そうとしたから、ロッキード事件で5億円掴まされて失脚させられたようだ。アメリカの言う通りに動かないから。

中国国内の、農薬や化学肥料の使用量は、日本の20分の1だ。これは何故か?中国はアメリカと対等な外交ができるように努力してきたからだ。中国のシンクタンクは有能で、だからこそアメリカ製の農薬や化学肥料にNOと言えるのだと思う。きちんと国民の生命と財産を守っているのだ。

韓国も農薬を減らせたことからみると、アメリカにNOと言える人財を育てることに成功したのだろう。日本の官僚はこの点、中・韓に学ばないと、鬱病の患者を減らすことに失敗するだろう。


経済産業省は東電や経団連との癒着が露わになったし、厚生労働省もアメリカの非加熱製剤を受け入れて薬害エイズ問題に至った過去がある。又、国内、国外問わず、多くの化学薬品の副作用を充分に検証しないことへのリスクもある。


道徳的価値観の低下による、関係省庁の腐敗を考えると、やはりテキストベースの教育(知育)のみでなく、「人間の霊性」や「社会奉仕」なども科目に盛り込んだ、総合的な人格教育へとシフトしないと、国がもたないと思う。

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by saiyans | 2015-06-01 01:01 | 政治・社会問題
2015年 06月 01日

日本の政治家とサットヴァ性


歩道には、視覚障害者のための黄色いプレートがあるが、最近はそのプレートの上に自転車やバイクを停めてしまう人が多くなった。自転車の籠に空き缶を入れていく人もいるが、こうしたことの1つ1つが、あらゆる悪所の苦を招き、目覚めた者(ブッダ)になる可能性を滅ぼしてゆくのだ。

このことからするに、やはり道徳的価値観の教授は早期に学校や家庭で行った方がいいというのが結論だ。

例えば道徳の時間に、黄色いプレートの上を目隠しして歩いてみるのも一考だろう。目隠し後に自転車を1台プレート上に置き、障害物が置かれたプレート上を歩く恐怖を実感させる。このようにして身障者の大変さを身に沁みて分からせるのだ。幸いにして視覚障害者の方はそれほど多くないので、実地で体験授業をしていても邪魔にはならないはずだ。こうした試みは、ある種、不謹慎なことなのかもしれないが、このようにして学ぶことで、子供たちの内面には自然に“思いやりセンス”が醸成されてゆくのではないかと想像する。

私は最近、黄色いプレート上に溜まった土を小さいショベルで除けるボランティア作業をしているのだが、こうした土は天気のいい日には固まっていて難なく通行できても、雨が降った後はぬかるんでいて靴を汚すし、自転車に乗っていても危ないと感じる。視覚障害者の方なら言うまでもないだろう。

元々、こうしたことを始めたのはサイババの教えに影響を受けたのが1番の理由なのだが、実際の効果を確認できたことが、最大のモチベーションになっている。ボランティア作業をして帰宅すると、明らかにご飯のオカズが豪華になっているのだ。また、母親が次の日にお小使いをくれたりもする。私は、近所が密集している場所に住んでいるのだが、その日に限ってやけに近所が静かになるなど、とても効果的であることが分かったのだ。

でも、やはり行為というのは質と量の両方が大事で、「あ~~~今日は疲れた~」というくらいやらないと、効果が薄かったりする。

私がこのような奉仕行っぽいことをやり始めたのは2001年からで、もう14年目になるが、けっこう時間を投資してきたのに、私の利己性は薄まった気がしない。「12」という数字は神聖数なので、12年くらい経てば幾らかでも心が清まるかな、などと思いながらやっていたが、そんなことはなかった。12年×4で48年(1マンダラ)だから、それくらいやらないと駄目なのかもしれない。

考えてみたら普通、人間は何十回、何百回と生まれ変わっているわけだから、その転生ごとに感覚を汚し、罪を重ねてきたはずで、それだけ長いことかけて汚してきたのなら、やはり長いことかけて清めないといけないのだろう。

でも、時代環境によって慈善ができる規模は違うだろう。昔なら大変だったことでも、現在の流通、通信などを利用すれば、沢山の慈善を積むことが可能になる。

例えば郵便局からWFP(食糧関係)などの慈善団体に寄付ができるし、ユニセフなどにも募金して、公共の井戸をアフリカなどの海外に掘ってもらうことも可能になった。

問題点は日本国内の道徳的価値観が確立されていないことで、現在でもエロ本やエロビデオは野放しだし、それらの業者たちを悪魔の踊りに耽らせている現実がある。このことについて周りの大人たちに意見を聞いてみると、エロ本などは青年期には読んでしまうのが普通で、仕方のないことなのだ、という話しをするのだが、私の実体験としては明らかに感覚を汚すものだったし、できるだけ避けた方が無難というのが感想だ。

道徳というのは本来、世界共通のもので、日本の道徳がここに1つあって、アメリカの道徳がもう1つあるというわけではないので、やはり早めに、高位にある立場の者(政治家や役人)が法の整備に関与しなければならないはずだ。

インドのユガ期で言えば、浄性が支配するクリタ・ユガ(仮にブラーミン・ユガとする)、徳が4分の1失われるトレーター・ユガ(クシャトリヤ・ユガ)、徳が半減するドヴァーパラ・ユガ(ヴァイシャ・ユガ)と来て、現在は徳の4分の3・・・75%が失われたカリ・ユガ(シュードラ・ユガ)だ。

この時代は、シュードラ的気質(タマス性)の優勢な者が“表現の自由”を楯に、エロ本、エロビデオ、暴力表現などを、あらゆるメディアを使って拡める。シュードラが猛威を振るう時代と言えるだろう。

終戦後、“表現の自由”を曲解して、“不道徳も許される自由”と解釈してしまったようだが、これはいけなかった。法が機能しなくなる。法解釈の甘い所に付け込んで、無法が拡大するに決まっているのだ。この時こそ、国内の高位にある者たちが力を発揮しないといけない。上位の浄性を理解できるクシャトリヤ(武人・政治家)は本来、これらエロや暴力などのタマス的(鈍性的)表現物を公権力の力で抑えて、国民の(道徳的)感覚を正常に保たないといけない。

通信、放送、印刷などのメディア業界。そして広告、(映画やゲームなどの)ソフト業界など、あらゆる業種に規制を設ける必要があるため、最初は大変かもしれないが、日本のあらゆる災いの根を抜断するためなので、忍耐強くやっていかないといけない。

クシャトリヤ(武人・統治者)は普通、自らが属する国の門を護る。自国のあらゆる入り口を門番の兵隊が見張り、不審な者の侵入を阻む。これと同様に政治家や役人は本来、国民の視覚や聴覚から侵入して来ようとするあらゆる害悪を見逃さず、早期に撃退しなければならない。こういった意味で、我が国の監査は甘過ぎると言わざるを得ない。どんどん不道徳性のウイルスが国民の感覚を蝕んで、将来の病院利用(入院)を確実なものにしてしまう。

浄性を理解するクシャトリヤ(政治家)が、“仕事は結果を生む”という「カルマの法則」を、道徳の教育指導要領に盛り込まないことが問題だと思う。この宇宙法則を教えないことが、災いの根源なのだ。

仮に、法律の是非を国民の総意により取り決めるとすると、どの国にもピラミッド構造的にシュードラ的気質の者が底辺に位置し、数が1番多いから、票を集計するとタマス性が優位な者の意見が圧倒することになる。こうなると浄性が価値観の上位に来ないので、国内は大混乱するだろう。

私たちが小・中・高と行かされて学ぶのは、適切な判断力を養うという目的もあるだろう。様々な気質の者が集う学校で、本来は愛や思いやりなどの、特に浄性について教わるべきなのだが、国民の無神論的傾向性が祟って、心の3属性の内、どうしても鈍性を強化する方に教育内容が傾倒してしまう。

PTAと言われる父兄の方々も、浄性が優位な人はそんなに多くないはずだから、もし父兄から教育内容や指導方法について何か文句が来ても、学校の先生たちは動揺することなく、自分が正しいと思ったことは、絶対に子供たちに理解させるくらいの気構えでいないといけないと思う。特に「カルマの法則」などは、教育の現場で教え損なうと、子供たちの未来が暗澹たるものになるのは確実なので、心して教えるべきものだ。父兄の大半が無神論者だったとしても、こうしたことは教育者として教えなければならないものなのだ。

浄性の極致は神についての科学なので、共産主義系の生徒たちは最初戸惑うだろうが、これは単に彼らの親御さんたちが学生時代、伝統や道徳について教育上隔絶されていたからであり、信仰や道徳は本来、人間にとって自然なものだから、何も怖がる必要はないのだ。

おそらく中国人たちも、先の戦争について、現在はこのように思っているかもしれない。「一体、孔子や孟子の教えを護りに来た日本軍と、それら祖先の教えを捨てて共産主義を選んだ私たちの、どちらが正しかったのだろう?本来“A級戦犯”とは、日本人の中に求めることは不可能なのではないか?何故って、日本人は中国の伝統を護りに来ただけだったし、それに逆らって祖先たちの教えに反逆したのは私たちなのだから、本来、中国共産党に過ちの原因を探した方が適切なのではないか?」と。

この時代にあっては、愛や道徳などはあまり顧みられないが、クシャトリヤ(武人・統治者)である政治家が、本来のラジャス性とサットヴァ性を発揮して、国民の真の平安のために、タマス性を国内から一掃しようと努力し始める時、日本は変わり、世界に誇れる国になると思う。



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by saiyans | 2015-06-01 00:00 | 政治・社会問題