ラーマの日記

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2016年 04月 30日

古典への回帰


将棋GUIの「マイボナ」がバージョンアップされたのと同時に、6万局以上の棋譜データ・2016年4月24日版もダウンロードできたので、今季の女流名人戦の棋譜データを見てみると、清水市代さんが里見香奈さんに善戦していた。

2010年の「あから2010」との戦い以降も、清水さんは家にある将棋ソフトと対局を続けていたと思われる。


渡辺明さんはコンピュータ将棋について語る時、 「コンピュータは間違えない」 という言葉をよく口にする。Bonanza6.0同士で対局させると決着が付くから、コンピュータ将棋にもミスは出るのだが、もうトップ・プロでさえ気が付けないほどの次元で一手が選択され、着手されているのかもしれない。

人は、その日の調子などに影響されるが、コンピュータ将棋は一定で安定した棋力を出せる。

以前、森下卓さんは、王位リーグに復帰できたのも、将棋ソフトとの練習対局が大きいと言っていた。

佐藤天彦さんも以前TV番組でコンピュータ将棋の実力を 「もう まったく油断ならないです」 としていた。2010年時点で、レーティングが3000点近い人が見ても、プロの指し手と遜色なかったのだ。

以前は研究会などでも、人間同士だと研究手をその場では披露せず、公式戦でぶつけるなどがあったそうだが、コンピュータは新手でも惜しみなく対局相手に示してくれる。隠し事が無いのだ。

島朗九段が当時、奨励会員だった佐藤康光さんや森内俊之さんを研究会に誘ったのも、その頃彼らはA級にいなかったので、惜しみなく披露する彼らの新手をプロの公式戦でぶつけられたのだ。

先生や目上の人への尊敬というのは、運を上げるので、この時、島さんや米長さんに奉仕したことで、それが徳の貯金となり、羽生世代は勝ち続けているのだ。


清水さんの家にあるパソコンは2010年製のCore i7搭載パソコンではないかと思うが、「あから2010」 と対局する前に、たくさんコンピュータ将棋と対局して入念な準備をしたそうだから、ソフトの検討機能も有意義に活用しているはずだ。

元々プロ棋士は棋譜を無償で将棋プログラマーたちに提供しているので、公平な交換が成り立つ。将棋ソフトを棋士たちが個々人で使用してもズルにはならない。

おそらく清水さんの1日の練習メニューとしては、持ち時間2時間で対局した後、途中で疑問に思った局面で長考し、考えがまとまった所で、パソコンの見解を見てみると、「自分が最善とした手と違うな」 ということで学習し、そういった感覚を実戦で真似してみると接戦になるなどの効果を肌で確認できた清水さんは、そうして修正した自分の大局観を公式戦でぶつけているのだ。

おそらく清水さんと対局している里見さん本人が1番それを実感しているハズだ。

あたかも島朗さんや米長邦雄さんが若手のフレキシブルな新手を公式戦でぶつけたように、清水さんはコンピュータ将棋との対局で得た新手を里見さんたちにぶつけているのだ。

今回の女流名人戦は里見さんが制したが、清水さんも2発入れたので、満足だったと思う。もともと清水さんは終盤が鋭く、寄せを間違えない人だが、今回もやってくれた。見ごたえある終盤だった。私は清水さんの本 「清水市代の将棋トレーニング」 も買ったが、詰将棋問題も、いきなり17手詰を出題するなど、「厳しいなー」 と思ったものだった。


モーツァルトやメンデルスゾーンはバッハの古典作品を学び直して、自分の作品に彩りを添えたが、本当は学習する際、ベートーベンのように、直でバッハに行くのが賢明かもしれない。ベートーベンの作品にはバッハの音楽的大局観が生きているからだ。

最近では久石譲さんもベートーベンを学び直しているそうだが、様々な分野で、古典への回帰というのが起こっている気がする。詰将棋作家の若島正さんが江戸時代の詰将棋集 「無双」、「図巧」を学び直しているというから。

今の子供たちは、直でBonanza6.0に行くのがイイかもしれない。Bonanzaは江戸時代の将棋御三家である大橋家、大橋分家、伊藤家の棋士たちの棋譜ほか、天野宗歩のような大橋宗桂門下の棋士たちの棋譜も学習して、古典のエッセンスも吸収しているからだ。言わばバッハも学習済み。この点で、古典をさほど顧みない現代のプロ棋士たちをBonanzaは超えている。歴史にも学んでいるのだ。

それにしても保木邦仁さんの登場以前と以後では、将棋界の内実が様変わりしてしまった。 まさに機械学習様々だ。個人的には保木さんに何か賞をあげてほしいのだが、ノーベル賞は外国の賞なので、「ドクター中松賞」とか、保木さんにあげられないだろうか?世界への貢献度から言っても、その器だと思うのだが。

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by saiyans | 2016-04-30 22:30 | 将棋
2016年 04月 24日

思い込みの力で悟る


漫画が青少年に与える影響力には、驚くべきものがある。

私は、「キャプテン翼」でサッカーにハマり、人生の何分の一かを無駄にした。当時はリフティングを練習したり、翼君の技をものにしようと努力したが、今にして思えば、何故それほどにのめり込んだのかが謎だ。今はサッカー自体に興味が無くなった。

次に来たのは100M走を描いた「スプリンター」。これにも影響を受けて、走りまくっていた。主人公の結城光が飼っていた愛犬のジェシーの代わりに、親戚の家に居たハスキー犬と走っていた。

ことスポーツについては、憑き物が取れたように完全に抜けた。バスケットボールなども20代前半までは執着があり、体育館を1人で借りて練習したりしていたが、今はまったくヤル気が起きないし、思うことすら無い。


オートバイも50CC~250CCまで乗ったが、無駄な出費だったなと後悔している。これもやはり漫画「バリバリ伝説」に影響されてだった。皮つなぎを着て峠まで出かけて行き、スピードを出してコーナーを攻めまくっていたが、才能が無いというのは早期に悟った。現実世界のライダーではケビン・シュワンツに憧れたが、彼のように走るためには幼い頃からダート・トラックで走り込み、バイクに於ける走行感覚を身に付けないといけないのだ。

トップ・クラスのライダーたちは、時速200キロくらいで走っていても、前輪と後輪を滑らせながらコースを走り抜けることができる。このバイクの走行感覚も、音楽に於ける絶対音感や早期英才教育で仕込まれるソルフェージュ(楽譜の読み書き)のようなもので、時期を逃がしてしまうと身に付けるのが難しい技能だ。

翼君は幼少期に既にサッカーボールで遊んでいたが、音楽ならピアノに親しむなど、やはり仕込みが重要になる。幼少期に楽器を持たせる親というのは、自分がその幸福に恵まれなかった後悔を子供にはさせたくないという思いが必ずあるだろう。野球のボール、グラブ、バットを持たせるのも同じ。子供の塾通いもそうだ。自分に欠けていたものを次の代で補足しようとする。


ドンファンは以前、知者になる時の障害を

「自分の普通の時間を、霊的な力に変えるのに不可欠な潜在力や集中力に欠けてるってことだ」と述べていた。

これはインドで言うところのサンスカーラ(過去世の常習、潜在傾向)のことで、魂に刻印された傾向性や欲望によって方向付けられ、その成就を目指すという魂の潜勢力を言う。

修行をテーマにした漫画というのは見たことが無いが、これが現在は渇望されていると思う。漫画による魔法というのは数か月ほど持続するが、もし半年間だけでも修業に身を投じることができれば、それは後々、ブッダ(目覚めた者)になる因縁を積むことになり、まさに国家を救う国宝級の人財を養成することに繋がるのだ。

イエス・キリストの修業期の描写はサイババの講話や書籍によって明らかにされたが、それまでは明かされなかった。誰かこの本を元にしてイエスの生涯でも秘教の部分、修行期の様子を漫画化してほしいものだ。


一方で、我が国の空海については、大師自ら筆を執り、かなり詳細に修業期の様子を描写している。「三教指帰」などだ。これだけの原作が遺っていれば、あとは作るだけだが、この時に「作ろう」と意図すること自体がサンスカーラに依るのだ。前世で芝居の監督に当たっていたなど、芝居関係を常習していた者のみが、実際の制作行動に移れる。

ブッダもやはり、いろんなグル(霊的導師)の所に行って、たくさんの講話を聴き、言われたことを修業に取り入れていたが、効果が無かったそうだ。その後も断食を2週間とか色々やってみて、最後は菩提樹の根元でアートマン(超越意識)に到達している。6年ほどで悟っているのだ。こういう人の場合、前世で既に6年ほど修行を常習してきたために、それが貯金になっていて、来世が楽になる。既に井戸を掘った過去世があり、もう少しで地下水に到達、というところまで掘り進めていたために、半分くらいの修行の継続で悟れるのだ。

ブッダと同時代の聖者マハーヴィーラは13年目に悟っているが、この「13年」というのは、色々な聖者たちの記録に出てくる。時計が一回りするくらい修行すれば大抵の願いは満たされるという啓示に思えてならない。皆、欲望を捨てて悟るというのは同じだ。絶対の戒律として、世俗の放棄というのは要求される。これがないと、あたかも1つの穴から空気が全て漏れ出てしまうように、形だけの修行ではなんの意味もないのだ。


世俗の時間に於いても、パートタイムなら4時間。フルタイムなら8時間だが、これが修行に於いても求められる。サイババも以前、「神はパートタイムの帰依は認めない」と言っていた。

これが出家になると、パートタイムなら12時間。フルタイムは24時間だから大変だ。どれだけ欲望をゼロにし続けられるかという根競べではなく、「全ては儚い」という世の無常を悟ったゆえに出家しているため、フルタイムがそのままフルに認められる。

せめて世俗のパートタイムである4時間くらいは修行を継続してみたいが、これもサンスカーラが無ければ、修行をしたいという内的促しも起きず、心は世俗に沈潜するばかりだ。もし前世で、人生の後半だけでも修行に身を投じたサンスカーラがあれば、燃料があるから前に進める。無ければ今世も世俗に溺れるだけだ。

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by saiyans | 2016-04-24 13:44 | 人間の霊性についての考察