ラーマの日記

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2017年 01月 31日

アニメ「MAJOR」にハマった


「BANDAI CHANNEL」でアニメの「見放題」を観ていたら、満田拓也さん原作の「MAJOR」を見つけた。

各シリーズの第1話だけ試聴できるので、何気に見てみたら、すごく面白かった。

自分はもうスポーツは卒業で、振り返ることもないだろうと思っていたから、再びのムーブメント到来の予感に、ワクワクし始めた。

思えば昔、深夜にセブンイレブンで立ち読みしたのが「MAJOR」にハマった最初だった。ヒロインの清水薫さんが、教室でイジメられていた小森をかばうところが「女粋」というか、素敵に見えたのだ。

この時は強気に出た清水さんだったが、同クラスの沢村率いるワルガキどもに絡まれて、怯えてしまう。

そこに主人公の本田吾郎が教室に入ってきて、沢村たちを堂々と威圧した。骨のあるところを見て「やるじゃんあいつ」と認めた清水さんは以後、吾郎の所属するリトルリーグ中、唯一の女子野球小僧となって、吾郎をサポートするようになるのだ。

小森がイジメられている所に吾郎が現われて助けるのは、小学生編だけでなく、中学生編でもそうだった。やはり野球部の不良メンバーたちにボコボコにされていた小森を吾郎が助けに来るのだ。


やがて小森のキャッチャーとしての資質に気づいた吾郎は、同好の士を見つけた嬉しさから、小森を大事にするようになる。


ある日の野球大会・・・

「ドーンッ」という轟音を聞いた対戦相手たちはそちらを振り向くと、吾郎と小森のバッテリーが投球練習をしている音だった。吾郎の投球フォームもカッコイイが、小森のキャッチングもまた見事で味がある絵で、これだけでもう「買おう」となり、レジに急いだものだ。

吾郎はこの頃まだワンマンなところがあって、周りを気にせずに自分1人でプレーするようなところがあった。

試合中に独善的な面が出て、周りに呆れられ、メンバーの心が散り散りになろうとする時、監督に、野球は1人だけの「点」でするものでなく、皆と共に助け合い、結ばれた「線」でプレーするものだよと諭され、チームプレーの本質に気づく吾郎だった。

小学生編、中学生編と、吾郎は最初こそ不良たちを「力」によって調伏するが、次に来るのは吾郎自身の人間性に感化される形の改心だ。この感化力は高校編でも発揮され、やはりチームメンバーたちは吾郎の「熱さ」に目覚めさせられ、それまでの「冷めた青春時代」を、「熱く、燃える季節」に変えていく。


昔、「はるか、かなた」という野球漫画が「少年ジャンプ」で連載されたのだが、短期に連載を終えてしまった。絵も私好みで、応援していたのだが、週刊連載のプレッシャーは大変なものだったのだと思う。

「アンケートで人気が出なければ切られる」と何処かで聞いたことがあるが、「少年サンデー」の場合は「~先生は病気のため、今週はお休みです」が許されるから、日本の野球漫画伝説「MAJOR」は継続されたのだ。

「タッチ」ほか、幾多の野球漫画は、登場人物たちを野球の本場「MAJOR」まで連れて行けなかったが、満田先生は最後まで責任を果たしただけでなく、WBC戦まで描いている。こんな祝福された野球漫画はかつてない。「タッチ」はでも、それでも素晴らしいけど・・・。

褒められたり、感動するとヤル気を出す主人公というのは「スラムダンク」も同じだが、吾郎の場合は人情の介在が、限界を超えるモチベーションになる。満田先生が使う漫画表現に、「爽やか胸キュン感覚のスクリーントーン処理」というのがあり、例えば聖秀のメンバーが、「打たせてけ茂野!」、「オレたちがぜってー止めてやる!」の後の、ニコッと笑った吾郎を包むスクリーントーンがそれだ。また、ギブソンの手紙を河原で読んでもらった時にも「爽やか胸キュン」処理が効果的だった。


Wikiに、吾郎は英会話はできても、読み書きはできないとあるが、大抵の中高生は、英会話はできなくても、読み書きはできるから、これは吾郎にも適用されると思う。でないと普通はクラス内に居られない。


胸を打つ野球漫画として、「全世界訳を出すべし」とお勧めできるのが、満田拓也プレゼンツ「MAJOR」だ。

「BANDAI CHANNEL」のアニメ購入だと高く付くので、私はレンタルのお世話になろう。




参考資料

「MAJOR」 少年サンデー・コミックス 小学館
満田拓也 著



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by saiyans | 2017-01-31 00:58 | 日常
2017年 01月 22日

音楽に国境無し


Zantillaという人の作った音楽にハマった。

Zantillaさんは特に、インプロビゼーション(即興演奏)が素晴らしい。例えば、日本のポップスでも、途中の間奏部分がインプロビゼーションぽいが、それを1曲を通じてずーっとやってるような印象。すごい才能だ。

彼のツイッターを見ると、キーボードを演奏する動画があるが、ジャズ演奏を相当学んだな、と分かる。テンション弾きが小慣れてるから。

また、シーケンサーの打ち込み技も巧み。ドラムスのリズムも黒人だからか、ノリのツボを心得ていて、ここで音を「抜く」、「抜かない」のサジ加減も上手だ。

昔、「Keybord」という雑誌で黒人のキーボディストが、「読者に何かアドバイスを」というインタビュアーの要請に、こう答えていた。

「まずは1つの楽器を極めろよ。」


幼少期からクラシックをずっと学んできたという人に「コード(和音)」の話をすると、「私、それ分からない」と言われることがあるが、「コード」自体は多分、アメリカで発明された「ハーモニーの新しい記述法」のはずだから、バッハやベートーベン時代の「クラシック(古典)」を学んできた人には異質に見えてしまうのだ。

ところが、「コード」と「ハーモニー(和声)」は言葉が違うだけで、全く同じ和音になる。コード的に「Cのトライアド」と言ったら、和声学では3度間隔のド・ミ・ソになる。

ジャズ畑の人たちが延々と即興演奏をしているのを聴くと、「この人たちは天才だ」と思うが、実は、あるコード進行の中で、コード内の各音を、リズムや、鳴らす個々の音の順番を変えながら演奏しているからなのだ。

「コード」は例えば、トップ・ノートのメロディーに合わせて、1小節ずつの区切りごとにハーモニー・チェンジする時に、「どの音から始めても巧く鳴る」という特徴がある。

例えばC△7(Cメジャー・セブンス)という4和音は「ド・ミ・ソ・シ」という構成音だが、「ミ・ソ・シ・ド」と「ミ」から始めて「ソ・シ・ド」と繋いでもいいし、「シ」から始めて「ソ・ド・ミ」と繋いでもOK。

1小節が仮に4秒でパスしていくとしたら、初めの「ド」を0.5秒、次の「ミ」は1秒、「ソ」は1秒、最後の「シ」を1.5秒でまとめれば、1小節内のつじつまを合わせられる。もちろん最初の音が2秒で、次の3音が0.66秒ずつでもいい。

メロディーが、単に縦のハーモニーを横に広げたものなら簡単だが、現実は甘くない。メロディーもハーモニーもリズムも、最後はインスピレーション。その人の音楽センスにかかっているのは間違いない。



Zantilla soundcloud


日本人ではSaitoneさんがお勧め。



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by saiyans | 2017-01-22 02:15 | 音楽
2017年 01月 09日

職人のパートナーとしてのコンピュータ


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今日はいつもより多めに修行したので、棋譜並べしていてウトウト眠ってしまった。

大山康晴さんの方を持って並べたのだが、しのぎの上手さとか、とても勉強になる。反対側の升田幸三さんの方を持って並べてもタメになるので、“一粒で二度美味しい”とはこのことだ。これはお互いの棋力が近いから可能になる。

それと二人は純粋に自分の頭脳だけで戦って棋譜を遺したのも共感できる。例えば自宅で研究していて、現在ではBonanzaなどの力を借りて最善手を探索したりもすると思うのだが、そうすると実戦で指した一手にコンピュータの一手が入ってしまい、職人としての仕事に不純な要素が混入したように思えてしまうのだ。

例えばメロディーを鼻歌で作曲していて、A、A´、B、A´とある中に、一音でも他者からアドバイスされた音が入ってしまうと、自分の曲で無くなる。Aメロ、Bメロ、サビなど、1センテンスごとに分割しても同じだ。将棋で言えば、一連の手順である「何手一組」のセットなら尚更、自分の将棋と呼べなくなる。

そういう意味では、バッハ、ベートーベン、メンデルスゾーンといった作曲家たちは恵まれていた。コンピュータという「他者」が介在する余地が無かったから。

詰将棋制作でも本当の純粋な作家と呼べるのは、江戸期や現代詰将棋の黎明期に活躍された人だと思う。今は「柿木将棋Ⅸ」があるので、詰探索ボタンを押してみたら、自分の構想した手順よりも良くなってしまったこともあるかもしれない。

音楽ソフト「レコンポーザ/ 98 Ver3.0」も例えば音符補正機能である「クォンタイズ」で、よれた音をビシッと揃えられたりするが、それは写譜屋さんが清書(浄書)したりするのと同じだから許せる。

コード進行などは誰かと同じものを採用することもできるから、音楽の場合も純粋に自分の創作物として認められるかと言えば、厳密には難しいかもしれない。

例えば、「マクロスF」のバトルシーンで使われている菅野よう子さんの曲は、ホルストの「火星」からインスピレーションを得たなと分かるし、どんな作曲家も誰かの曲で勉強したなと分かる。

そういう意味では似るのが当然だが、それでも「これはこの人のオリジナルだ」と思える味が出ていれば、それはその人の作品なのだと思う。

しかし、コンピュータの発達は嬉しい反面、職人技が生きていた世界に不協和音をもたらす場合があると感じる。コンピュータやその設計者たちは専門家たちの職域を侵そうと思っているわけではなくても、結果的に将棋界などは人間同士の不信感を作り出す原因になってしまったりしている。

Bonanzaなどはある種「棋譜作成ソフト」とでも言えるくらいのレベルに達しているが、これから音楽なども機械学習を応用することで、「自動作/編曲ソフト」が登場するかもしれない。

将棋の「棋譜データ」に相当する「MIDIデータ」を用いれば、音楽家たちの「感覚」をコンピュータが学習して、スタートボタン一発で素晴らしい楽曲が作り出せてしまう。そんな世の中が、もうそこまで来ていると思えるのだ。


参考文献

「カシオペアの本」 立東社


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by saiyans | 2017-01-09 00:07 | コンピュータ将棋
2017年 01月 02日

新たな法整備の必要性について


エロ本やエロビデオについて、普段役所などにお勤めの方はご存じないと思うのだが、その内容は陰惨なものとなっている。

それこそ、“公序良俗に反するもの”どころか、およそ「先進国」とは見做せない劣悪なものというのが印象なのだ。

おそらく「表現の自由」というのは戦後、「意味の間違った受け入れ」があったと思われる。事実、「公序良俗に反するもの」が流通に乗り、例えば一般の「コンビニ」や書店などに並べられているし、法的におかしくても、取り締まれていない。

昨今の学生による性的な事件などは、およそ為政者が十分な法整備を敷いていれば、未然に防げたものだと思う。


そこで提案なのだが、まずは東京都から、性表現の放任を限定的に規制する措置をとっていただけないだろうか?

「美しい国」と言われるが、本来は市民の内面の美が現れるように「法」が整備されてこそ、はじめて「美しい国」と呼べると思うのだ。

事件を未然に防ぐには、先のことまで読んで為政者は措置を取ることだと思うのだが、何故かいつも事件後に法整備をするので、後手に回ってしまう。

「三つ子の魂百まで」と言うが、性的な事件を起こしてしまう人は、幼年期~青年期にかけて、エロ本やエロビデオを視聴してきた可能性が高い。子供の頃に覚えたことは一生忘れないから・・・。

劣悪な内容というのは、思えば私が子供の頃ですらそうだった。為政者たちの先輩方は「表現の自由」を曲解していたのかもしれない。

性的な表現についてとやかく言うのは、なにかピューリタン(清教徒)的で、“カッコつけマン”のように思われるから、言い出せなかったのだろう。

人々の内面の荒廃というのは、例えば原発事故のようなものよりも、後々まで祟るという意味で致命的なものだ。これがアジア諸国を初め、ネットを介して諸外国にまで拡がると思えば、現在を生きる我々の責任は重大なものとなる。

性表現の放任の是正は、国連で議題に挙げられても、各国の判断に任せる、良識に任せる、という形で、放任されているのが現状だ。もう最悪のところまで来てしまったので、ここは先陣を切って日本がやるべきだ。事実そうした不道徳さで世界に一番ご迷惑をかけてきたのは日本かもしれないからだ。

日本は「先進国」という認識だから、各国も何かが日本で許されていれば、それを「合法」と受け取ってしまう。この国に巣食う、エロ産業という「悪魔の踊り」でさえ是認されてしまうのだ。

先達の果たせなかった「“表現の自由”を正当な意味に置き換える作業」は、現在を生きる為政者が補完すべき課題だと思う。

一刻も早い法整備が求められている。善は急げで、為政者方が決断してくださることを祈る。



参考文献

「ドンファン・シリーズ」 二見書房
カルロス・カスタネダ 著

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by saiyans | 2017-01-02 19:50 | 政治・社会問題